四国こんぴら歌舞伎大芝居
久々に歌舞伎を観に行きました。
どこへ?
東京の歌舞伎座?
名古屋の御園座?
京都の南座?
大阪の松竹座?
それとも博多の博多座?
いいえ、今回は、四国は香川県琴平町の 金丸座です。
はるばる海を越えて参りました。
今回、お目当ての役者は誰?
やはり「彼」かなあ。「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵…。
この時点で分かった方は、”壬午かぶき検定”(ナンジャ、ソレ)の10級に認定します。
第三十七回四国こんぴら歌舞伎大芝居
令和6年4月5日(金)初日~
21日(日)千穐楽
第一部 午前十一時開演
一 伊賀越道中双六 沼 津
二 羽 衣
第二部 午後三時開演
一 松竹梅湯島掛額
二 教草吉原雀
無論、上の「彼」はポスターの中にいます(当たり前ジャイ!)。
中央の人物。
ここでダメ押しを。
男前の写真2葉ご覧あれ。
そうです。
「彼」とは第十代目 松本幸四郎ですね。
屋号は高麗屋
定紋は浮線蝶、替紋は四ツ花菱
日本舞踊松本流三世家元
父 二代目 松本白鸚
姉 松本紀保(女優)
妹 松たか子(女優)
叔父 第二代目 中村吉右衛門(故人)
長男 第八代目 市川染五郎
年譜
1973年生まれ
1979年 三代目 松本金太郎を襲名
1981年 七代目 市川染五郎を襲名
2018年 十代目 松本幸四郎を襲名
では、ここで歌舞伎十八番のうち「勧進帳」で弁慶を
演じる七代目市川染五郎時代の彼をご覧じろ。
今回のこんぴら歌舞伎の“お練り”の様子(初日の前日)
”お練り”見たかったです。
こんぴら歌舞伎の告知ダイジェスト
🔶金刀比羅宮への参道と金丸座周辺の様子
🔶上演前の金丸座の中の様子
”お茶子さん”(ボランティアです)
金丸座
金丸座は、”こんぴらさん”の名で親しまれている金刀比羅宮が鎮座する象頭山の麓にある国指定重要文化財「旧金毘羅大芝居」です。
現存する中では日本最古の芝居小屋とされています。
小屋の棟上げは1835年(天保6年)、完成は翌年でした。
古くから信仰を集める金刀比羅宮は、江戸時代には金毘羅講など多く参拝者を集め、門前町は琴平が朱印地・天領であることで取締も寛大で、様々な芝居、相撲、操り人形などの興行が行われました。
芝居の興行に仮り小屋がその都度建てられていました(年3回程度)が、当時の大坂道頓堀三座のひとつでもある大西芝居(一説には大阪にあった筑後座とも云われる)を参考にして、上記のとおり1835年(天保6年)に本小屋の棟上げを行い、翌年完成します。
この金毘羅大芝居には江戸、大阪などの千両役者が舞台を踏み、全国にも知られた芝居小屋となり、また富くじの開札場としても使用されました。
明治以降、稲荷座、千歳座、金丸座と名称が変わり、また地回りの芝居小屋や映画館(その際にはかけすじが外される)と利用も移り変わりました。
しかし映画産業の斜陽に伴い、廃館となったため長く廃屋のような状態になりました(場所は現在の位置より参道や金倉川に近く、その場所は現在、琴平町立歴史民俗資料館が建てられている)。
1935年(昭和28年)11月に香川県の重要文化財として指定されるものの、熱心な復元運動も空しく、1964年(昭和39年)には指定を解除されました。
しかし、芝居小屋として江戸末期の劇場建築を考える上で重要な建築物として再評価され、1970年(昭和45年)には国の重要文化財として指定を受けました(この際に名称は旧金毘羅大芝居となりました)。
それに伴い、修復の必要性や火災などの危険性も配慮され、また文化財として保存を図るために、1972年(昭和47年)には移築復元工事が開始され、1976年(昭和51年)3月に現在の位置(琴平町乙1241番地)で竣工しました。
四国こんぴら歌舞伎大芝居
この移築復元後に、第二代目中村吉右衛門、第五代目中村勘九郎、第二代目澤村藤十郎がテレビ番組「すばらしき仲間」で上演を熱望するなど、上演の機運が高まり、1985年(昭和60年)に第一回の「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が公演されました。これより年1回、春の定期公演が行われるようになります。
🔶第二代目 中村吉右衛門
☘️ そこに到るまで☘️
1984年(昭和59年)7月、TBSのトーク番組「すばらしき仲間」の撮影が行われ、澤村藤十郎、中村勘九郎、中村吉右衛門の3名が、金丸座を訪れました。 彼らはこの芝居小屋に惚れ込み「是非この舞台を踏みたい」と、宿泊先である、琴平グランドホテル社長の近兼孝休に相談。 ちょうど、老舗旅館の相次ぐ廃業などで町の観光業に危機感を覚えていた近兼は、三人からの要望を聞き入れる形で、金丸座での芝居公演を計画し始めます。
しかし「金丸座」は重要文化財であり、文化庁との折衝が不可欠でした。 また演劇公演に関するノウハウも全く無く、さらにはアクセスが困難である(当時は瀬戸大橋もまだ完成しておらず、東京から高松空港へはプロペラの飛行機だけ、鉄路では新幹線、在来線、宇高連絡船の乗り継ぎでやっと到着できるような場所であった)など、集客面でも不安を抱えていました。
それでも、関係者の努力と熱意が松竹の全面バックアップを取り付け、JTBの協力要請も得られるなど、ついに第一回『四国こんぴら歌舞伎大芝居』の開催が実現したのです。
☘️ 地域を挙げて☘️
金刀比羅宮成功祈願祭として役者の面々が金刀比羅宮へ成功祈願の参拝と「お練り」行列(役者が人力車に乗り琴平町内を回る)を行い、初日から千穐楽に至るまでの公演では地元住民のボランティアも運営に力を添え、地域一体で取り組んで開催されています。
☘️ボランティアによる支え☘️
公演は多くのボランティアの人たちによって支えられています。
江戸時代そのままの芝居小屋なので、電気も機械も使わずに上演するため、舞台転換時に使う回り舞台やせり、すっぽんなどは全て人力によって操作します。
また照明は自然光のみで、三段階になっている明かり窓の開閉によって行われます。
これらは全て琴平町商工会青年部員が毎日、ボランティアで行っています。
観客の席への案内・誘導、プログラムの販売、そして桟敷などの清掃等を担当してくれるのがいわゆるお茶子さんです。
1日20名~30名の女性がかすりの着物姿で参加してくれています。
いまやお茶子さんの参加も全国的になり、県外からも泊まりがけで参加しています。
公演のあゆみ
☘️ 定期公演☘️
第一回 昭和60年6月27日~29日<3日間5回公演>
から
第三十五回 平成31年4月6日~21日<16日間32回公演>
まで
連続して開催されました。
☘️ その他の公演☘️
☆町制百周年記念 近江座公演 平成2年9月 など6公演
☘️ 中止の公演☘️
第三十六回公演は令和2年4月11日~26日<16日間32回公演>
開催の予定でしたが、コロナ禍により中止のやむなきにいたりました。
☘️ コロナ禍によるブランク☘️
令和2年~5年(4年間)
☘️ 待ちに待った再開☘️
コロナ禍を堪え忍び、タイミングをはかりつつ満を持してこの度の再開にこぎ
着けました。
関係者の万感の思いが迸る第三十七回目の四国こんぴら歌舞伎大芝居の開催です。
絵 看 板
金刀比羅宮
🔶”讃岐の金毘羅(こんぴら)さん”
🔶海上交通の守り神
🔶参道の石段は梺から奧社まで
1368段
🔶民謡「金毘羅船々」でもお馴染み
🔶森の石松もお参りしたとか
🔶機会あらば一度お参りください
挑戦 1368段!
素晴らしかった!
座頭の幸四郎さんを初め、雀右衛門さん、鴈治郎さんらのヴェテラン陣と染五郎さんや壱太郎さんらの若手による息のあった素晴らしい芝居を見せていただきました。
満足です。
四年ぶりの観劇でした。
今回は令和の大改修の柿落としとあって琴平町の皆さんの力の入れようにも唯ならぬものがあったように思います。
感謝です。
こんぴら余聞
🔶何年か前、特席で演出家のM氏を見ました。ぶらりとやってきて、弁当を食された後、ひとたび開演すると終始真剣なお顔で舞台に集中されていました。
🔶もっと前になるでしょうか、元総理のF氏が数人の紳士たちと桟敷席に入って来られるのを見ました。元衆院議長のW氏もご一緒だったと思います。
やはり独特のオーラがありましたね。
幕間で和気藹々とトークされているのが印象的でした。
🔶ことほど左様に著名人の方々がお付き人なしでぶらりと芝居見物とシャレ込むという粋な光景がみられます。
それこそがこんぴら歌舞伎のこれまた粋なところでしょうか。
🔶今日は大芝居の14日目。午後3時からの第2部。周囲のお姐さま方の熱狂ぶりが凄い!
そんな中で、おもわぬことが2件。
その一つは桟敷席の間を走る30センチ幅の通路を花道代わりにして、俳優が移動する。お姐さま方の熱狂に火がつきました。
もう一つは演目が終わった後、何とカーテンコールに応えて
舞踊「教草吉原雀」の三人(幸四郎、鴈治郎、雀右衛門)が
再度お目見え。サービスも満点!観客は大興奮でした。
周囲のお姐さま方の話では、チケットは初日か千穐楽を取りたかったのにいずれも外れて不満タラタラだったところ、今日の思いがけない「ありがたい例外」でモトがとれたとか。
よろしゅうございました。 (了)
”すじがき”(プログラム)
(お断り)記事の一部についてはウェブからお借りしました
今回もお付き合いをいただき、
ありがとうございます。