☘️オスカー(アカデミー賞)の季節になると、映画好きはやはり映画のことを思います。
この度は日本の2作品が受賞したとのこと、素晴らしい快挙ですね。おめでとうございます。
☘️お彼岸とあって世間並みに墓参を済ませましたが、その帰途でなぜか「彼」の米国インディアナ州フェアマウントにあるという墓所を思い出しました。
☘️「彼」とは誰?
映画好きのあなたならわかりますよね。
そうです。彼は
ジミーこと
ジェームズ・バイロン・ディーン
(1931〜1955)
です。
1955年
ジミーはもういない
♠️主演男優
映画「エデンの東」がわが国で初めて公開されたのは1955年の10月のことだが、その前月末に主演俳優のジェームズ・ディーンは不慮の事故で既に亡くなっていた。
♠️メディア
SNSなどのない時代だからメディアの反応は俊敏ではなかったが、まずは新聞やラジオ、放送開始後間もないテレビ放送が、そして映画雑誌をはじめ『平凡』や『明星』などの芸能雑誌もディーンを追悼する特集記事を掲載した。
♠️不慮の事故
1955年9月30日の夕方、ジェームズ・ディーンが乗るポルシェはカリフォルニア州郊外のパソ・ローブルス付近を走行中、州道の十字路で左折しようとした車と衝突し、ディーンの車は路肩にはじき飛ばされて大破した。
ディーンは首を骨折しており、駆けつけた医師は午後6時頃、彼の死亡を確認した。
☘️その刻まで
ディーンは近々サリーナスで行われるレースを念頭に競技用ポルシェを購入していた。
ポルシェ550スパイダー。珍しい車だった。銀色の軽い車体で車高は低かった。ボディには彼がつけたニックネームThe Little Bastard とレースナンバーの13が書かれていたという。
事故当日、サリーナスへはポルシェをトレーラーで運ぶ予定だったが、車に早く馴染みたいとの思いからメカニックを同乗させて自ら運転して行くことにした。
相手の車は黒いプリマスのリムジンで、大排気量エンジンの大型車。ドライバーは23歳の若者だった。
衝突後、リムジンの若者に負傷はなく、ポルシェに同乗のメカニックは瀕死の重傷を負ったが一命をとりとめた。
原因特定に確証はないが、ポルシェ側のスピード出し過ぎとプリマス側の判断ミスの2点に絞られているとか。
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☘️☘️上掲の動画をポチっとすると、流れてくるのがビクター・ヤング楽団が演奏する「エデンの東」。レナード・ローゼンマンの名曲ですね。
映画「エデンの東」公開後、世界中のラジオ各局から流されました。
わが国では先ずはFEN(米軍極東放送網)から。
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🔶その刻から
☘️「エデンの東」のアメリカでの公開は1955年3月9日であつた。
鬼才エリア・カザンに見出された新星ディーンがアクターズ・スタジオ仕込みの演技と持って生まれた素質を遺憾なく発揮し、主役のキャルを情熱的に演じた。それまでのアメリカ映画に見られた正統派スターとは全く異なる新しいキャラクターの登場だった。
若者の不安や孤独、そして憤りなどを体現するディーンに多くのファンが喝采を送った。
☘️わが国では一部の映画関係者や熱心な映画ファンを除いてはアメリカでの興奮はそれほど伝わらなかったが、その後の「あの刻」に係るニュースが人々の耳目を集めた。
☘️そして10月中旬。大都市でのロードショーには前代未聞の観客動員数をマークする大ヒットとなり、それは地方都市にも連鎖した。とりわけ東京ピカデリー劇場での期間中20万人にのぼる動員が異彩を放った。
ディーンの人気は絶大だった。
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「エデンの東」今回はここまで。
次回は映画そのものについて投稿します。
原作者、監督、ストーリー、キャストのエピソードなどを。
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☘️つぶやき☘️
冒頭の墓参の話の続きです。
私がお参りする墓は3カ所あります。
我が家の墓と親戚の墓です。そのうち二つは公園墓地にあり水道や駐車場が備わっていて助かるのですが、三つ目が大変。墓地が「心臓破りの坂道」を登った頂上にあり、おまけに駐車スペースも水道もありません。だからふもとの駐車場から水の入ったポリタンクなどを担いで登る。なかなか高齢者を寄せ付けません。
この丘の上の墓地についてツイートをもう一つ。今回の墓参のとき、何だかスースーするので周りを見ると右の墓所が空いている。驚きました。数年前に新調されたはずの墓が「墓仕舞い」されていました。ちなみに左の墓所も数年前から空いています。
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今回もお付き合いをいただき
ありがとうございました。