こんにちは、うるまです。
前回記事では、周りの人が自分を求めてくれるか否かによって、自分の存在価値を無意識に測っていた頃のお話をしています。↓↓↓
さて、今回は父の仕事の都合で中国の上海に転校した時のお話をさせていただきます。
私の父はメーカー勤務で、私が小学6年生の時に中国の上海への海外赴任を命じられました。最初は父だけ上海へ行き、他の3人は日本で暮らす予定でしたが、せっかく海外で生活する機会ということもあり、最終的には家族4人で上海で生活することになりました。
ということは、私は今の学校から上海の学校へ”転校する人”となります。実はこの時私は、今の学校を離れなければならない寂しさよりも、上海へ転校できるというワクワク感の方が大きかったのです。
純粋に未知の場所での新しい生活や人間関係に期待をしていたことに加えて、「転校」というものを経験できることが私にとってはポジティブなものでした。
特に自分が”転校する人”になることで、注目を浴びることに快感を覚えていたのです。社交辞令かもしれませんが、私が転校することに対して悲しんでくれる人が予想以上に多かったです。
ずっと周りに合わせてできるだけ目立たないように生きてきましたが、本能的な部分では”目立ちたい”という気持ちが私にはあることに気付きました。この当時は、”周りの人に認めてもらいたい””自分の存在価値を示してほしい”という気持ちでいっぱいでした。
”自分のことを見てほしい”という承認欲求があったのです。
今振り返ると、その承認欲求は友人に対してではなく、おそらく”両親”に対してのものだったと思います。自分でも気付いていなかったこの気持ちに気付かせてくれた出来事が、上海への転校でした。
最近は「承認欲求」というのはネガティブな表現がされやすい風潮にありますが、私はそうは思いません。人間として「承認欲求」をもつことは当然のことだと思っています。
その承認欲求を求める矢印が過度に他人に向いてしまうと、自分が振り回される危険性がありますが、承認欲求の矢印を自分に向けて、自分で自分を認められることが大切ではないでしょうか。
やはり、人間は「自分を認めてもらえる/受け入れてもらえる環境」がないと生きづらさを感じてしまいます。私は小学生の頃はその矢印が他人に向いていましたが、時間が経つにつれて少しずつ自分で自分を認められるようになりました。
暴走する恐れがある「承認欲求」と上手く付き合っていくためにも、自分との対話が大切だと改めて気付いた出来事でした。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
