①では、ボウリングとクレーンゲームでうまくいかないことが続き、
「もう帰る。一人で歩いて帰る」
と言い出した中2の息子との出来事を書いた。
義実家の近くで土地勘もない。
真夏のお昼。
帽子もスマホもない。
自宅まで徒歩1時間半。
一人で帰らせることはできない。
でも義実家に戻るのも嫌。
ご飯を食べるのも嫌。
ようやく「食べる」と言ったので、
「じゃあ行こう」
と言ったら、
「その言い方が嫌」
もう、
「じゃあ私はどうすればいいの?」
という状態だった。
でも、あとから振り返ってみると、
あのとき息子も、自分で自分をどうすればいいのか
分からなかったのかもしれない。
「帰りたい」ではなく「ここから離れたい」だったのかもしれない
息子の、
「もう帰る。一人で歩いて帰る」は、
本当に家まで歩いて帰りたかったわけではなかったのかもしれない。
だって、
「じゃあ義実家に帰って一人になったら?」
と言ったら、「帰りたくない」だったから。
一見、矛盾している。
でも感情で考えれば、そんなに矛盾していない。
息子の中では、
「うまくできない」
「悔しい」
「取れない」
「ムカつく」
が立て続けに起こっていた。
だから、
「家に帰りたい」というより、
「もうここにいたくない」
「この状況から離れたい」
「誰とも関わりたくない」
という状態だったのかもしれない。
でも、自分がどうすれば落ち着けるのか本人にも分からない。
だから、
「帰る」
「義実家は嫌」
「ご飯も嫌」
「その言い方も嫌」
となる。
この状態になった息子を、
言葉で納得させようとすること自体が難しかったのだと思う…
一つ目のイライラが消える前に、次のイライラが重なった
息子は、小さなころから、感情が大きくなると元に戻るまでに時間がかかる。
これは兄妹を見ていると、とてもよく分かる。
娘も癇癪はしょっちゅう起こす。
今回だって、ガーターになるたびに不機嫌だった。
でも、立ち直るのが早い。
翌日にはガーターなしレーンで、また2ゲーム楽しんでいる。
一方、息子は違う。
一度大きく感情が動くと、そこから戻るまでに時間がかかる。
今回も、
ボウリングがうまくいかない。
まだ不機嫌な状態でクレーンゲームをする。
クレーンゲームも取れない。
さらにイライラする。
物に当たる。
「歩いて帰る」と言い出す。
ご飯屋さんに入っても不機嫌。
そして食事をして時間が経って、ようやく元に戻った。
つまり、
問題が次々と発生したというより、
一つ目の感情が収まる前に、次の「うまくいかない」が重なっていった
とも考えられる。
そう考えると、
あのとき必要だったのは、
私の「正しい言葉」ではなく、
息子の感情が下がるまでの時間
だったのかもしれない。
そして私の中では「なんとかしなきゃ」が動いていた
でも、感情が爆発していたのは息子。
その横で私は何をしていたのか。
振り返ってみると、私はずっと、
子どもたちの感情に反応していた。
娘がガーターになって不機嫌になる。
「ガーターなしにしてあげればよかった」
息子がボウリングで不機嫌になる。
「2ゲームにしなきゃよかった」
クレーンゲームが取れずに荒れる。
「やらせなければよかった?」
歩いて帰ると言い出す。
「どうしよう」
義実家は嫌。
「じゃあ、ご飯?」
ご飯も嫌。
「じゃあ、どうしたらいい?」
気づけばずっと、
「なんとかしなきゃ」が動いていた。
機嫌を取らなくても、私は疲れる
私は息子の機嫌を取っていたわけではない。
最終的には、不機嫌なままご飯屋さんに入った。
息子が不機嫌なのは、そのままにしておいた。
それでも、ものすごく疲れた。
なぜなら、息子が荒れている間、
私の頭の中ではずっと、
「本当に歩いて行かない?」
「物を壊さない?」
「娘もいる」
「ここは義実家の近く」
「このあとどうする?」
と、安全確認と状況判断が続いていたから。
相手の機嫌を取らなくても、
不機嫌な人のそばにいるだけで消耗する。
特に私は、アダルトチルドレンとして相手の機嫌に反応する癖がある。
さらにHSS型HSPの気質もあって、周囲の表情や声、空気の変化を細かく拾いやすい。
だから、「放っておけばいい」と頭では分かっていても、
身体まで完全に無反応でいられるわけではない。
息子は自分の感情に飲み込まれていた。
私はその息子の状態を察知し続けながら、安全管理をしていた。
だから、疲れた。
それは、
「私の対応が下手だったから」
ではなかったのだと思う。
「もっと上手に対応すれば」は違った
私は最初、
「2ゲームにしたのが悪かったかな」
と思っていた。
でも、よく考えたら息子は、
ボウリングがあまり好きではないことを自分でも知っていた。
それでも、「行く」と言った。
クレーンゲームも、「やりたい」と言ったのは息子だった。
自分で選んでやってみた。
でも、うまくいかなかった。
その結果、悔しくなった。
これは息子自身の経験だ。
全部、「私が選択を間違えた」
にしなくていい。
そして私は今回、
息子が不機嫌にならないようにすることよりも、
もっと大切にしたいことがあると気づいた。
それは、
失敗する可能性があっても、息子が「やってみたい」と思ったことまで奪わないこと。
③では、
「怒ること」と「やってはいけないこと」をどう分けるのか。
そして、失敗を避けさせるのではなく、
失敗したあとに自分で戻れるようになるために、親として何ができるのか。
今回の出来事から考えたことを書いてみようと思う。
つづく