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平和な日が、いちばん落ち着かなかった
夫婦関係が、前より落ち着いてきた。
子どもが、元気に学校へ行けている。
体調も、少しずつ良くなってきた。
穏やかな毎日が、続いている。
本当は、嬉しいはずなんです。
ずっと、こういう毎日がほしかったはずなのに。
でも私は、その穏やかさの真ん中で、ソワソワしていました。
「このあと、何か悪いことが起きそう」
理由もないのに、そんな予感だけがふくらんでいく。
順調なときほど、わざわざ不安を探してしまう。
何も問題がないと、逆に落ち着かない。
心から「もう大丈夫」と思えない。
長いあいだ、これは私の性格の問題だと思っていました。
考えすぎ。心配性。ネガティブ。 そう自分を責めてきました。
でも、これは考えすぎだからじゃなかったんです。
「幸せのあとには危険が来る」と、脳が覚えていた
子どもの頃を思い返すと、思い当たることがいくつもありました。
楽しい時間のあとに、急に怒鳴られた。
笑った直後に、喧嘩が始まった。
ほっと安心した瞬間に、傷ついた。
期待したら、裏切られた。
そういう経験が、何度も続くと、脳は、ひとつのパターンを覚えます。
「幸せのあとには、危険が来る」
これは性格ではなくて、生き延びるための学習でした。
私の中には、ずっと番犬がいます。
危険を先に察知して、吠えて、私を守ろうとしてくれる存在。
子どもの頃、その番犬は本当に必要でした。
何が起きるかわからない毎日の中で、
先に身構えておけば、傷つくのが少しで済んだから。
だから順調になればなるほど、番犬は緊張します。
「こんなに穏やかなはずがない」「次に何か来るぞ」と。
良いことの直後に、わざわざ不安を先に出して、心を守ろうとしてくれる。
ソワソワしていたのは、私がおかしいからじゃなかった。
昔いちばん助けてくれた仕組みが、今も律儀に働いてくれていただけだったんです。
今の不安は、未来の予言じゃない
ここに気づいてから、不安が出てきたときの受け取り方が、少し変わりました。
今感じている不安は、未来の予言じゃない。
過去の記憶が、反応しているだけ。
「また何か起きるかも」という感覚は、
これから起きることの予告ではなくて、
昔の私が必死で覚えた防衛が、今も鳴っている音。
そう思えると、不安そのものは消えなくても、
その不安に飲み込まれずに、ほんの少しだけ距離を置けるようになりました。
良いことがあったら、「これでいい」と口に出す
私が今やっているのは、すごく地味なことです。
良いことがあったら、「これでいい」と、小さく口に出してみる。
何も起きない日。 穏やかな日。 安心できる日。
そういう日を、何度も、何度も経験していく。
一回で変わったりは、しません。
番犬は、長いあいだ私を守ってくれた仕組みだから、
そう簡単には引き下がってくれない。
でも、穏やかな日が積み重なっていくと、
脳は少しずつ、学び直していくみたいです。
「幸せのあとに、危険が来ないこともある」って。
あなたがおかしいんじゃない
良いことが続くと怖くなるのは、
ただ単に、幸せに慣れていないだけなんだと思います。
あなたがおかしいわけでも、 ネガティブな性格なわけでもない。
今までたくさん警戒しながら、それでもちゃんと毎日を生きてきた。
その証拠なんだと、私は思っています。
つづく
