前の記事はこちら
中学時代に
一緒に住んでいた母の叔母が亡くなる日の朝
おばあちゃんの部屋に寄って顔を見て
「行ってきます」って言ってから
学校に行くように
母から言われたにも関わらず、
まさか亡くなるとは思わずに
まあいっかと思って学校に行ってしまい
あの日ちゃんと
おばあちゃんの部屋に行けばよかったという
後悔や罪悪感は、長年ずっと消えずにいました。
なにか、あの時に
できなかったのかという想いに
とらわれてしまい
大人になってから
資格不要だった
介護の仕事に携わることになるのですが
あまりのキツさに
3か月で退職する
はめになりました。
この出来事の
HSS型HSPの愛すべき個性を解説していきます。
1.「後悔」と「罪悪感」が強く残った理由
HSPの共感性・深い処理の特性によって、
出来事を表面的に流せず、
「なぜあの時、できなかったのか」と
何度も心の中で反芻(はんすう)したのだと思います。
HSPは「感情の意味づけ」を深く行う傾向があり、
罪悪感や喪失感を“心の中で長く再生し続ける”ことがあります。
それは単なる自己責めではなく、
「大切な人とのつながりを保とうとする心理的な努力」でもあります。
つまり、“後悔”の中にも“愛情の形”があるのです。
2.「介護の仕事に就く」という行動の背景
ここにはHSS(刺激追求型)の特性がよく表れています。
HSS型HSPは、
-
過去の痛みを癒すために「行動」を起こす
-
感情の意味を“体験”によって理解しようとする
-
強い使命感や理想に突き動かされる
といった傾向があります。
おばあちゃんへの想いを行動で昇華しようとしたのは、まさにその特性です。
「もう一度、あの時できなかった“優しさ”を誰かに向けたい」と、
無意識に感じていたのだと思います。
3.「3か月で退職」してしまった理由
これも、HSS型HSPならではの“反動パターン”です。
HSS気質は「やる」と決めたら全力で飛び込みますが、
HSP気質の「刺激過敏さ」「感情共鳴の強さ」が限界を超えると、
急激にエネルギーが枯渇します。
介護現場では、
・他人の痛みを強く感じすぎる
・感情移入しすぎて自分の境界が薄れる
・“役に立てない自分”への自己否定が深まる
といった心の負荷が一気にかかります。
HSS型HSPは「理想と現実のギャップ」に敏感で、
理想を持つほど挫折したときの落差も激しくなります。
だからこそ、“わずか3か月”という短期間でも、
あなたの中では何年分もの葛藤を体験していたのです。
抜け出しのヒント
-
「行動で償う」より、「感じて許す」方向に癒しを向ける
-
自分の感情を“仕事”で処理しない(共鳴と職業を分ける)
-
“もう十分やった”という事実を、自分の中で受け入れる
