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わたしの父について

 

 

父はトラックの配送業をしていました。

 

目鼻立ちがハッキリしていて、

口数が少なく、

ぱっと見ちょっと怖い感じのする人です。

小学校の時に見た

父の運転免許証の顔写真が

パンチパーマで

とても怖かったのを覚えています。

 

 

通勤に片道1時間近く、かかるのもあり、

年末年始などの繁忙期で

忙しくて遅くなる時期は、

朝起きたらいなくて、

寝てしまってから

帰って来るので、

何日も会えずじまいでした。

今日も父に会えないんだと

寂しく感じていました。

 

 

幼い頃の私は

父にあまり甘えた記憶がありません。

朝は早いし、

帰りも遅い。

休みは日祝のみ。

さらに口数の少ない人だったので、

父と楽しくおしゃべりって、

ほとんどした記憶がありませんでした。

 

 

家族で出かけることはあっても、

母とはおしゃべりするのですが、

父は運転手って感じでした。

家族みんなで和気あいあいとはいかず、

家族みんな仲良しに憧れていました。

陽気で

社交的で

おしゃべりなお父さんを見ると、

「いいなー。

うちのパパもこうだったらいいのに」

と思ってしまっていました。

 

 

わたしの娘が

「パパ抱っこー♡」と、

夫に甘えているのを見るたびに、

私はこうやって甘えることができなかったんだな…

と複雑な気持ちになるし、

こうやって

素直に

可愛く

甘えたかったなと思ってしまいます。

 

 

そんな父ですが、

手先が器用で、

日曜大工が得意でした。

 

 

わたしが中学生になり、

自分の部屋を持てることになったのですが、

実家が、

昔の廊下の長い田の字型の作りで、

和室がほとんどだったため、

私の部屋も和室になりました。

 

可愛くて

おしゃれな部屋を夢見ていた私は、

ザ・和室なのが嫌で嫌でしょうがなく、

父にお願いしたら、

壁紙や部屋のドアや押入れのふすまを洋風に、

畳をフローリングにしてくれました。

 

その他にも、

家の修繕も自力で出来ることは、

自分でやっていました。

 

家の外にある

灯油タンクを囲う小さな小屋みたいなのを

作ったのを見たときは

すごいなーと感心するばかりでした。

 

 

車庫には、

日曜大工に使う道具がたくさんありました。

父が休みの日に

日曜大工している所を見に行くのが好きで、

父の作業中に、

工具箱に入っている工具を

見ているのも楽しかったです。

父の周りをチョロチョロして、

ジャマだったこともあったはずですが、

本当に危ないとき以外は、

そばにいさせてくれました。

 

 

父と、何を話したらいいのか分からず

無口で嫌だなと思っていましたが、

私が幼い頃は大家族のお婿さん。

たくさん気を使っていたんだと思います。

休みの日は趣味のパチンコに行ってしまい、

「勝手に出かけてしまってズルい。

わたしも連れて行って欲しかった」と思いながら

父が帰って来るのを

ずっと玄関で、

待っていた記憶があります。

 

 

ある日、

父が怒ってキレた時に、

居間の窓から

手足をつかまれて、

家の外に

放り投げられそうになり、

恐怖で

いっぱいになった事がありました。

今思い出しても怖いです。

多分、仕事から帰ってきて、

クタクタなところに、

わたしが騒いだか何かして

怒らせてしまったんだと思います。

 

 

口数が少ないし、

何を考えているのかよく分からず、

いつも

ビクビク顔色や機嫌を

伺っていたような気がしています。

 

 

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