克服に向けての原動力

 

休職中に、送別会に参加した時だった。
以前にお世話になった上司の定年退職の送別会だった。

参加しない選択はなかった。
参加する大半は家族同然の様な気心知れた仲間で、これまでも休職の間、飲み会やイベント毎には参加して会っている仲間たち。ただ、そうでもない人も集まっている場だった。

会が始まった。中には十数年振りの仲間など懐かしい集いになった。
そして、会も終わり間際に、1人のそこそこの立場である役職者から、皆の前で言われたのだ。
「大したことないのによく休んでられるなぁ。(奥さんが亡くなった)吉田の方がよっぽど辛いのに……」しばらく説教じみた話が続いた。


今、振り返ると、パニック障害になったこともない人からすると、休職期間にあからさまに、飲み会やボーリング大会など参加してる私に対して不満に思うのも仕方ないことだと思う。
しかし、この時は、久々に合う皆の前で恥をかかされているような思いで、とはいえ、せっかくの場を壊すわけにはいかない。いやいや、そうでない。そんなことを考えたわけでなく、サンドバッグの様な状態が早く終わってくれ。とぐっと拳を握りしめて、必死に我慢していた。

その後、しばらくしてから、悔しさや怒りがこみ上げたのだ。

(HSP気質の私は子供の頃、親に「この子は変わりもんだから」とか親戚の集まりや近所の人達にも私がいる前で言われた記憶がある。私を否定するつもりはないのは解るが、当時、レッテルを貼られることが嫌だった。こういう記憶もあり、より悔しくてたまらなくなったのかもしれない。)

この時に「絶対にこいつがいる間に職場に戻って、復讐してやる!」と決意したのだった。

(当時の、後に復讐を実行するまで湧き起こす強い復讐心はどこからくるのかを考えたり、又、数年前に退行催眠を受けてリンクすることがあった。

 

小学生の頃から、力あるものが不条理に弱いものを抑圧することに対して強い怒りを湧き起こしていた。
子供の頃、住んでた町内には様々な家庭があった。貧富の差も子供ながらに感じたし、後に同和差別もあることを知ったり(現実問題として差別が存在することに子供の私はショックだった。)、酔っぱらいの父親によくひっぱたかれてた友達や、ヒステリックな母親に怒鳴られてよく泣いている友達の存在。学校では、町内の年下の女の子が学校で集団でいじめにあってた事実。そんな格差、差別問題、親たちの姿、いじめ問題に胸をつまらせながら、強く憤りを感じていた記憶がある。
そして、両親に対する抑圧された気持ちもあったことを後に知る。
数年前、退行催眠を練習で受けたことがあった。そこで眠っていた記憶が蘇った。5歳ぐらいの時に、父親に庭にあったイチジクの木にしばられてた記憶だった。晒し者にされてる恥ずかしさ、そうさせた父や助けない母に対する怒りの感情が湧き起きていた。
父母には虐待受けたりなどの記憶は全くなく、もしかしたら親としては、からかう程度のことだったのかもしれない。

送別会で我慢し、復讐心を抱いたのは、その時の相手の行為そのものだけでなく、過去のこうした抑圧した気持ちも含めたものだったのだと思う。いちじくの木に縛られた時の父母、町内の友達を抑圧してた親たち、差別社会をうみだしてる社会に向けての怒りも含めた復讐心だったのだと思う。)

復讐のために、会社に戻りしなくてはいけないことは決めていた。
あくまでも正当法で、同じ様に恥を抱かせ、辛い気持ちを知らしめることだった。

これ以外にも、大きな2つの出来事が同じ頃にあった。
いずれも、振り返ると権力の構図から引き起こされていることに対する怒りが原動力になったことだった。
この中の1つは、様々な感情をもたらす、私の中の歴史的な事柄だった。今でも悔やむことでもあるが、自信を復活させる事柄でもあった。

そして、パニック症状が良くなったわけでもないが、復讐のために復職をした。
休職前の職場はプロジェクトチームで、解散と共に休職に入ったため、親しい所属長からの誘いのあった新しい組織に復職をした。復讐するには好都合の部門だった。

 

※今では、復讐することが正しいかったとは必ずしも思えるものではありません。

復讐心の気持ちの対処についてはこちらの記事で綴っています。

 

~ カウンセリングも承っています。お1人で抱え込まないでくださいね。~

 

私も学んだ心理学講座