変なタイトルですみません、みうです。



いまふいにつんく♂さんのシングルベッドを聴いていて思ったことがあったので、忘れないうちに文章にしたいと思いました。



シングルベッドで夢とお前抱いてたころ〜 という歌詞が本当に素敵なつんく♂さんのこの曲ですが、思ってみれば私達はこれをご本人が歌っているのを聞くことはもう叶わないのです。



ご存知の通り、つんく♂さんは喉頭がんで整体を全摘出し声を失いました。



声を失うということは私たち凡人にとってもすごく辛いことなのに、歌手でありプロデューサーであったつんく♂さんにとってはその仕事人生に節目を打つという選択でもありました。



正直なところ、私はつんく♂さんのファンでもありませんし、つんく♂さんがプロデュースしたアーティストのファンでもありません。



しかし、芸能人としての「つんく♂」にとって誰よりも大事で大切な声帯を失くしてしまったことがなんだか全く関係ない私なのに心の一部がぽんっと取れてしまったかのような、そんな感情が込み上げてきて仕方ないのです。




先程ようつべにて、つんく♂さんの最後となったラジオ出演の動画を見てきました。




涙が出ました。




私が知っていた声とは全然違う、低い声が出せずにいる掠れた声でした。




しかし、それでも彼は喋っていたのです。笑っていたのです。ギャグも言ったし、出演者の人からいじられていました。




なんだか急に壮大になるけど、その1本の動画で、私は人生の儚さや速さや勿体なさや哀しさなど色んなものを一気に感じました。




自分でも追いつけません。



きっとつんく♂さんの件で衝撃を受けない人はいないのかな、と思います。



現に私も、もう5年も経ったあとですが、つんく♂さんが現役時代に培ってきたもの・遺したものの大きさを痛感しています。




しかし、【もう】5年も経っているのです。



一時期テレビを騒がせたつんく♂さんの訃報も徐々に風化され、5年経ちました。




そして5年経ったいま、私の前にまた現れたのです。






そこでふっと、ある疑問がよぎりました。



もし私がいま持っている何かを失くしたら。



それに対して哀しんでくれる人はいるのかな、



一体自分には人に哀しんでもらえるくらいのものはあるのかな、




そんなもやもやした気持ちでいっぱいになっています。




風化されてもなお私が持っていたものを思い出してくれる人はいるのか。




100年後私の知り合いはきっともうみんないなくなって、私の存在は無かったことになってしまうのか。




私の愛する親や兄妹のことまで無かったことになってしまうのか。




深く深く考えていっても真理には近づけません。




なんだか心が抉られていく気がします。




それでも、なんだかよくわからないブログになってしまいましたが、文章がまとまらないので、最後に私が伝えたかったことは、つまりつんく♂さんの声がもう一度聞きたい、ということです。





最後まで読んでいただきありがとうございました。