クリスマスマーケットの灯りが、夜を柔和な暖色に染めていた。吐く息が白くなるほどの寒さなのに、ここだけは独特の温もりに包まれている。
立ち並ぶヒュッテ、行き交う人々、どこからか漂う食べ物の香り。BGMの『Last Christmas』が、楽しげな笑い声に混じって流れていた。
隣を歩く渡邉は、時おりチラチラと小林の様子をうかがっていた。
謝るタイミングを逃したまま、どう距離を詰めていいのか測りかねている。せっかくの雰囲気を壊したくないけれど、言葉が見つからない。
そんなとき、小林の足が止まった。
ホットチョコレートの屋台で、店員がマシュマロの表面をバーナーで炙っている。甘い香りが冬の空気の中に広がっていく。
「飲む?」
小林が振り返り、少し迷う仕草を見せた。
それを見逃さず、すぐに二人分のカップを買ってきた。
「寒いし、私も飲みたかったから」
手渡すとき、指先がふっと触れ合う。
「……熱いから気をつけて」
伝えてあと、すぐに手を引く。
「ありがと」
小林は受け取ると、それ以上は何も言わなかった。
二人はそのまま、賑わうマーケットの中をあてもなく歩いた。
中央の大きなツリーが、金色の光を放ちながらキラキラと輝いている。隣のスケート場はカップルだらけで、あたりには甘ったるい空気が充満していた。
「日本中のカップルが今日、全員外に出てるわけ?」
それを横目にボソッと毒づいた。
「かもね」
それを見てと少し笑った。
人混みがひどくなるにつれ、二人の距離が離れそうになる。
はぐれそうになるたび、渡邉はさりげなく小林の手首を掴んで引き寄せた。けれど、引き寄せるとすぐにパッと手を離す。
何事もなかったかのように。
小林は何も言わないし、渡邉も何も言わなかった。
ようやく人混みが遠ざかり、市集の賑わいが冷たい空気に溶けていく。
二人は公園の隅にあるベンチに腰を下ろした。木々に飾られたイルミネーションが、足元にゆらゆらと影を落としている。
「由依」
顔を上げると、渡邉は視線を正面に向けたまま、マスク越しに静かに口を開いた。表情はよく見えない。
「ごめん」
小さな声だったけれど、静まり返った空気の中ではっきりと響いた。少しの間を置いて、ようやくこちらを振り向く。
「もっと早く言うべきだった……本当にごめん」
眉を少し動かしたが、何も答えずただじっと見つめた。
「ふーちゃんの卒コンの日、ひどいことした……許してくれなくても、仕方ないと思ってる」
「うん、結構ひどかったね」
否定せず、淡々と返す。
渡邉は視線を落とし、膝の上で重ねた指先に力を込めた。そのうなだれた横顔が、耳の垂れた大きな犬のように見えて、少しだけ毒気が抜ける。
けれど、すぐに顔を上げて真っ直ぐに見つめてきた。
「ときどき、どう向き合えばいいか分からなくなるんだ」
夜の光が瞳に反射して、まつ毛が微かに震えている。
「あのとき、距離を置こうって決めてからも……」
言葉を選ぶように一度言葉を切る。
「私のやり方が下手すぎた。もっとマシな方法があったはずなのに、自分の弱さから逃げて、由依を傷つける道を選んじゃった」
一瞬、息を呑んだ。
まさか昔の話を持ち出すとは思わなかったからだ。
何年も前のこと。
お互いに触れないのが暗黙のルールで、微妙なバランスを保ちながらやってきた。
これからもずっと、そうしていくものだと思っていた。
「昔のことは、もういいよ。理佐だけのせいじゃないし」
ふっと息を吐き出すと、口元にようやく少しだけ笑みが浮かんだ。
「でも、理佐の口からちゃんと聞けて、ちょっとスッキリしたかな」
渡邉は逸らさずに見つめ返す。
その瞳には、どこか意固地なまでの真剣さが宿っていた。
「なのに、また同じことしちゃって……本当に、ごめん」
「うん」
冷たい風が吹き抜け、首をすくめた。スマホを確認すると、いつの間にかかなりの時間が経っている。
「もう、こんな時間だ」
渡邉も申し訳なさそうに呟く。
「そうだね。そろそろ帰らなきゃ」
マフラーを巻き直すと、二人の間に沈黙が流れた。
遠くからマーケットの音楽が、別の世界の出来事みたいに途切れ途切れに聞こえてくる。
「送っていくよ」
「え? いいよ、悪いし……」
「遅いから」
白い息を吐き出しながら、静かに、けれど引かない強さで問いかけてくる。
「……ダメ?」
街灯の下、その瞳にある切実なほどの真直ぐさに、小林は気圧された。
ここで断る方が、かえって不自然な気がした。
「……ん。じゃあ、お願い」
最後には小さく頷いて、二人は夜の道を歩き始めた。
地下鉄の車内は、レールの上を走る音だけが響き、二人の間に会話はなかった。時おり、列車が揺れるたびに肩がふっと触れ合う。
窓の外を流れる光を眺めながら、さっきの会話を思い出していた。
どうして急に送っていくなんて言い出したんだろう。
横目で隣をうかがうと、渡邉はぼんやりと窓の外を見つめていた。
昔からそうだ。何を考えているのか、さっぱり掴ませてくれない。
駅に到着するアナウンスが流れ、立ち上がると、渡邉も後に続いた。
改札の手前で足を止め、振り返る。
「ここで大丈夫。理佐も早く帰る」
渡邉は頷き、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
「今日の晩ごはん、ありがと」
少し意地悪な笑みを浮かべて、言葉を重ねる。
「なんだか今日は、デートみたいだったね」
案の定、渡邉は虚を突かれたような顔をした。
その反応を見て満足したのか、軽く手を振る。
「じゃあ、お疲れ様」
「あ、ちょっと待って」
呼び止める声が少し焦っている。
慌てて手首を掴んで引き寄せると、バッグから小さな箱を取り出し、ぎこちなく差し出してきた。
目を丸くしてそれを見つめる。
「これ……?」
「クリスマスプレゼント……少し早いけど」
声が小さくなり、視線が泳いでいる。マスクで顔は隠れているけれど、耳の先が真っ赤になっているのは隠せていない。
「さっき渡そうと思ったんだけど、タイミングがわからなくて……」
しどろもどろな説明に、思わず笑みがこぼれそうになる。
今日は一体どうしたんだろう。
こんなに積極的ななんて。
箱を受け取ったとき、指先が微かに触れ合い、二人の動きが一瞬止まった。
「ありがと。でも私、何も用意してない……」
「いいよ、別に。私が贈りたかっただけだから」
家路を急ぐ人々が通り過ぎていく中、手のひらの箱を見つめる。
まさかこんな準備までしてくれているなんて、信じられない気持ちだった。
渡邉が深く息を吸い込み、意を決したように言った。
「あのさ……来週、空いてる?」
一瞬呆気に取られた。
もう次の約束?
緊張している様子がなんだか可愛くて、少しだけ意地悪く聞き返す。
「それって、デートの誘い?」
明らかなからかいを含んだ問いに、眉を寄せてさらに耳を赤くした。
「……時間があるなら、ってこと」
「いいよ」
あっさり頷くと、渡邉は目に見えてホッとしたような顔を見せた。
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