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part1
退院後に自殺保護活動をしたいのは何回も書いてる気がする
持論として、自殺しそうな人は金銭的に余裕がない人が多い
生きていくお金に困っていることが多い
だから保護して生活するお金などは無償で私がしばらく払って生きられるように回復して、生きる術を身につけるまで、徹底的にサポートしたいと思っている
だが、ふと今日それは、そこまでするのはやりすぎなのか…と思った
例えば、自殺保護した人の学費も払う
保護した人が何か資格を取りたいがために大学に通いたい
だがその資金がない
そういうような状況になったときどうする
私は遠慮なくお金を出すと思うが、やりすぎなのか
本人のために自分で稼げるようになってから勉強させた方がいいのか
しかし生きていく手段を身につけるために勉強しにいくのであって、すでに生きていく術があるのなら、それで生きていけば良い
本当に自殺したいと思う人は生活にすら困っている
やりたいことがあっても、余裕がない
だからそれならもういっそのこと死にたい
そこまで追い込まれているからこそ救いたい
そこまでの辛さが分かるからこそ救いたい
でもやりすぎなのか
分からなくなってきた
大学の教育費でなくとも、資格のための勉強でも同じである
でも私は生きるための手段を学びたい
自殺したいと思うくらい辛い過去があるが、頑張って世の中のためになることをするために勉強したい、その技術を身につけたいと本気でそう思っている人であれば助けたいと思う
生活費はもちろん出すつもりであるが、勉強費は出さない方が良いのか
とりあえず多少の苦しさなら耐えられるくらいまで回復したら、あとは自分でやりくりしながら勉強してねと自立させるのも大事かもしれない
だが、その人にもう今以上に苦しい目に遭わせたくない
それなら自立するための技術を身につけるサポートも買って出るくらいのサポートをしたい
それは尽くしすぎなのだろうか
やってみないとわからないが、少し分からなくなってきた
もちろん人を選ぶ
当然自殺ない人が学費をケチるために、私を利用したいなんて言ってきても、それは当然サポートしない
どうやって判断するかも大事
その点をもっと煮詰めないといけない
また学費なども払うのであれば、稼ぐ必要がある
その費用を具体的にどうやって出すのか
どうやってそのお金を作り出すのか
その点ももっと考えないといけない
課題は山積み
でもやる気はある
自殺したい人を救う
苦しんでいる人を救う
そのためなら何だってする
それが私の生きる道なのである