小林麻央さんのご冥福をお祈り申し上げます。 | Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

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小林麻央さんが亡くなられました。先ずは心からご冥福をお祈り申し上げます。

まだ、お子さんも幼いし、今が一番可愛い時に、その最愛の子供達や愛する夫や家族を残して、早すぎる生を終えるのはどれ程辛かったかは想像するに余りあります。

これ程、生きたいと思っていても、その願いが叶えられない人がいる反面、思い余って自らの生に終止符を打ってしまう人が多いのも大変残念なことです。

スティーブジョブズのスピーチの中に「その日が人生の最後であるかのように毎日を生きれば、いつか その通りになることはほぼ間違いない」「毎日、今日が最後の日であると思って生きれば本当に大切なことは何かが見えてくる」という一節がありました。

僕はいろんな意味で彼の考えに賛同できないことも多々ありますが、この部分に関しては彼の言う通りだと思います。

人間、明日死ぬかもしれないと思って生きれば、今日の一日というものがとてつもなく重要な意味を帯びてくるわけで、無駄にする時間や暇つぶしなどする時間は一瞬も無いことが良く分かると思います。

毎日、自分ができる最善の事、最大限の事をやる、つまり簡単に言えば、ベストを尽くす生き方をすれば、もし明日死んでも思い残すことは無いし、明日死ななかったら、更に一日ベストを尽くせる日が追加で貰えたわけなので、ちょっとお得感があるということです。

そうやって、もしずっと死ななかったとしたら、どれ程中身の濃い充実した人生が過ごせるか、想像しただけでも凄いことになると思います。

ただ、中々そのような生き方が出来ないのは、ハッキリ言って「明日死ぬわけがない!」と思っているからで、「明日できることはアスタマニアーナ」と思っているからだと思います。

しかし、小林麻央さんは、まさに「明日死ぬかもしれない!」と毎日思っておられたのだと思いますし、そういう意味では、真央さんにとってのこの1年間は普通の人の10倍ぐらいは中身の濃い1年間だったのではないかと想像されます。

そうやって生きたくても生きたくでもどうしても生きることが出来なかった真央さんの無念な気持ちを考えると、まだタイムリミットを告げられていない自分がのうのうと当たり前のごとくに時間の無駄使いしながら人生の無駄使いをするのは、とてもとても申し訳ないことだと思わずには居られない訳であります。

そう思って、先ずは明日死んでも良いように、自分の机の片づけから始めようかと思うのですが、心のどこかで、そんなことをするぐらいなら死んだ方がましだ!と叫んでいる自分も居て、ついついアスタマニアーナ!となってしまう情けない自分なのでありました。