ふと考えごとをしていたら、昔のやりとりを思い出しました。
私は昭和の人間ですが、高校の時にクラスに1人か2人は、学校を辞める子がいました。
(多分、今よりはずっと少ない時代だったのではないかと思います。)
当時仲の良かった友達(Aちゃん、とします)は、引っ込み思案で、人付き合いが苦手な子でした。
結果、クラスに馴染めず退学。
高校を辞めた後、通信制高校に移ったのか、その後も通信制の大学まで進んで、
大学卒業の肩書き
を手に入れたようでした。
私は正直、通信制高校とか、通信制大学というのが
" 良くわからない世界 "
だったのですが
別な(普通に通って短大を卒業した)友達(Bちゃん、とします)が、
「通信制なのに大卒の肩書つくんだね」
と、ちょっとイヤミというか侮蔑のニュアンスを含んだことを、ぽそっと言ったことをずっと覚えています。
多分、
「私はちゃんと学校に通って短大を卒業したのに、あの子は通信制で大卒なの?」
っていう、なんだか腑に落ちない気持ちだったんじゃないかと思います。
BちゃんはAちゃんに嫉妬していたのだと思うし、
キチンと通学した私エライ、という価値観は、
わからなくもないのです。
(だってそれが昭和の価値観だったから。)
不登校問題を話す時に、しょっちゅう出てくる話題ですが、
実はこの考えがあると、学校に行かない、通学しないヤツはズルい、という価値観は、
誰も幸せになりません。
人間関係がうまく行かない故に、高校をやめたAちゃんの苦悩は誰にもわからないし、
Aちゃんの問題と、Bちゃんの問題は、フェーズが違う問題なのだと、今なら理解できるからです。
一時的に同じ高校にいて、同じ時代を生きて、友達として遊んでいた3人でも、
空間的には同じ場所にいたけど、それぞれが見ていた世界や、生きていたフェーズ(次元)は全く違っていて、
絡んでいるように見えて、違う世界線にいるのです。
…我が子達がそれぞれのスタイルで不登校になった時に、この問題はやはりありました。
現在高1の長男は、中3の時に、修学旅行に行くつもりだったのですが、同じ班になった(そこそこ仲良しだと思ってた)子にイヤミを言われ、
要は、普段は学校来ないヤツが修学旅行は行くんだな問題で弾き飛ばされてしまったからです。
長男はいたたまれなくなってしまい、修学旅行を諦めました。
イヤミを言った男の子は、まさにBちゃんと同じ思考形態の中にいて、
同じ空間にいるヤツは、同じレベルで過ごすべきだ、
という考えに支配されています。
中高生の立場でその違いを理解するのは、多分無理なことで、
先を生きていた大人が作った世界に、子供達をあてがっただけなんだけど、
レールに乗せられたまま生きていると、それに気付かないからです。
なので、レールに乗ったままの人から見ると、
レールから外れた生き方をしてる人が許せなく見えるし、
レールから外れた人は、道なき道を歩かなくてはならない不安や恐怖を抱えていることに気付けません。
…長くなってきたので、次の記事に続きます。
