人が金持ちに生まれる理由、貧乏に生まれる理由 | 全人類の希望・幸福の科学と幸福実現党 日本と全人類の平和と幸福を願って

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人間の本質は霊であり、その霊は永遠に生き続けます。そして死んで肉体を抜け出した霊は霊界に行き、そこでしばらく過ごしたあと、また、地上に生まれ変わってきます。
 
これを生まれ変わりとか、転生輪廻(てんしょうりんね)といい、人間は、この転生輪廻を永遠に繰り返しているといわれています。
 
自分が過去世で、せっせと積んできた徳と金運は、自己のオーラに記録されていて、自分が再び地上に生まれ変わった来世に、その徳と金運を持っていくことになります。
 
今回、地上に生まれてくる前に、前世で、一生、一生懸命、寄付していた人間は、今世は金持ちに生まれ、前世で寄付をしなかった人間は、今世で貧乏に生まれてくるのです。
 
これが人間が金持ちに生まれたり、貧乏に生まれてくる理由です。決して、偶然に金持ちに生まれたり、貧乏に生まれたりするわけではありません。
 
仏教の善因楽果悪因苦果(ぜんいんらっかあくいんくか)の観点からすると、こうなります。
 
(前世)善因:一生、寄付をしていた
 
⇒(今世)楽果:金持ちに生まれる
 
(前世)悪因:ケチで寄付をしなかった
 
⇒(今世)苦果:貧乏に生まれる
 
お釈迦様に、このようなエピソードがあります。
 
貧しい村に行かれた釈尊
 
あるとき、お釈迦さまが弟子たちと托鉢(たくはつ)に出かけられました。しばらくして、行く手が二股(ふたまた)に分かれていましたが、お釈迦さまが右に歩まれると、お弟子の一人が言いました。
 
「お釈迦さま、失礼ですが、道を間違われたのでは?
 こちらの道は、大変貧しい者の住む集落に向かいます。
 最近の飢饉(ききん)で餓死(がし)する者まで、出ているところです。
 そんな村に托鉢に行かれても、布施する人はいないでしょう。
 反対の道ならば、大地主や大商人たちの住む町ですから、布施する人も多くありましょう」
 
それに対して、お釈迦さまは、こうおっしゃいました。
 
「道を間違えてはいない。
 この道が、貧しい村に通ずることは知っている。
 布施は貧しい者ほど、しなければならないのだ。
 彼らが現在、餓死するほどに貧しいのは、過去世で欲深く、布施の功徳(ふせのくどく)を積まなかったからである。
 布施を励んだ人は、恵まれた家に生まれ、施しをしなかった人は貧しいところに生を受ける。
 彼らは自らの報いを受けているのだ。
 貧しい中から、米一粒でも布施をして、功徳を積むならば、それにより、彼らは今の苦しい状態から、抜け出せる。
 長者の万灯(ちょうじゃのまんとう)よりも貧者の一灯(ひんじゃのいっとう)、布施の尊さは量にはよらない。
 貧しさに苦しんでいる人ほど、布施をしなければならないのだ」
 
弟子たちは深くうなずいたといいます。
 
(注)長者の万灯(ちょうじゃのまんとう)より貧者の一灯(ひんじゃのいっとう)
 
長者の万灯より貧者の一灯とは、金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進(きしん)をするよりも、貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊いということ。
 
以下の記事に、この話について、詳しく書いています。
 

 

 

だから、来世、貧乏に生まれたくなければ、できる範囲で、ある意味、命がけで、一生、一生懸命、寄付しなければなりません。
 
そういうわけで、人は年老いたら、精一杯、徳と金運を積む努力をするのがいいのです。徳と金運を積んでおけば、それを自分が生まれ変わった来世で使えるからです。
 
現金や、有価証券、不動産、金や宝石などは、死んでしまえば意味はなく、あの世や来世に持っていくことはできません。
 
だから、自分の晩年には、自分の財産を、なるべく、幸福の科学、あるいは、ユニセフなどの慈善団体に寄付したほうがいいのです。
 
幸福の科学、あるいは、ユニセフなどの慈善団体に寄付すれば、たくさんの徳が積めます。
 
ユニセフに寄付すると、約35倍の金運を積めると言われています。
 
あなたがユニセフに1億円寄付すれば、35億円の金運を来世で使えるということになります。
 
ユニセフだけではなく、ユニセフ以外の慈善団体でも大丈夫です。
 
このように、来世のために寄付をして徳と金運を積んでおくのが賢い晩年の生き方なのです。