ひとりごと0119(番外058 僕の先生2) | 林住期さんのひとりごとブログ

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林住期を生きるおっちゃんの不定期なひとりごとです。

僕の先生2

 

前回の続きです。

学校教育が全てとは思いませんが、
やはり学校教育は、
人格形成にかなり影響を及ぼすと思っています。

私は、赤穂恵美子先生の影響は受けたと思っています。
小学校の思い出は、赤穂先生が担任であった、
3、4年生の時のことばかりです。

さて、
教育の考え方ですが、
運動会のかけっこと
運動会での昼食を

例に考えたいと思います。
私は教育に関しては素人ですが、
学生を受け入れる社会側の立場での意見は
それなりであると自負しています。

運動会のかけっこで順位をつけないような教育は間違っている

と思っています。
当然、人それぞれ得意なことも苦手なこともあります。
いろいろな経験、どのみち社会へ出れば経験することばかりです。
嬉しい、悔しい、悲しいなどいろいろな思いを経験することによって
「相手も同じく」、嬉しい、悔しい、悲しい思いをしていることを

知るのだと思います。
そのような教育をしないから、避けているから、
相手が悲しんでも苦しんでも、それに気が付かない。
もしその原因が自分であってもそれに気が付かない。
自分の言い分だけを言っても平気。
というような人間が育ってしまいます。

口で教えるような教育では伝わらないと思います。
心に響かない以上意味がありません。


そのような嫌が勝つ人種が増えたのは、
学校教育の失敗が原因と思っています。
当然親も悪いですが。

このような理由から、
順位は現実と捉える。
走るにしても、短距離、中距離、長距離、
障害物、ハードルなど一つではなく、
いろいろなチャレンジの場があります。
1番になるチャンスは増える。
2番の子供は、よし今度こそ1番になろうと努力する。
苦手な人は、スポーツは走るだけではない。
ここに書ききれない程、他にもたくさんチャレンジできる場はあります。
勉強が苦手な子供が、運動が得意であればそれでOKでしょう?
逆に、運動が苦手でも、勉強が得意であればそれでOKです。

勉強だって、国語、算数、理科、社会、他にもあります。
算数の中でも、掛け算だけが得意な子もいるでしょう。それでいいんです。
暗算だけが得意な子もいるでしょう。それでいいんです。

運動も、勉強も苦手。
では、音楽なら得意。それでいいんです。
習字なら得意。それでいいんです。
絵が得意です。それでいいんです。

人にやさしく出来る子です。
兄弟思いです。それでいいんです。

1番に拘る必要はないですが、
頑張れる分野はたっくさんあります。
苦手と言えば
何でもかんでも蓋をする。
競争の現実から逃げるのは違うと思います。

やってみたら、殊の外上手くいくことだってあります。


運動会での昼食もそうです。
母子家庭や、仕事などで家族が来れないから
本人が寂しい思いをするからという理由で、
おじいちゃん、おばあちゃん、家族全員での
昼食を楽しみにしている家族を
排除するなんて、本末転倒な教育です。

これは、世間とズレた教育委員会や校長の指導でしょうか?
教員の意見でしょうか?
それともモンスターペアレンツのせいでしょうか?
ネグレクトの親のせいでしょうか?

一人で食べる児童は、先生と食べることにより、
また違った体験が出来ます。
先生と輪になって食事をすることも
想い出になると思います。
悲しい思い出と決めつけないほうが良いと思います。
また、お友達の家族と一緒に食事することも当然ありです。
可愛そうと思うなら、
家族との食事を中止するという発想に向かうのではなく、
一緒に食べようと誘ってあげたらどうですか?

それも想い出です。
コミュニケーションを親も勉強したらどうですか?

カップ麺を渡すような親、ネグレクト親に対しては、
児童には先生と食事するグループに入ってもらい、
学校が用意した食事をするなど、
対策はいくらでもあるように思います。

このようなことも私の時代にもあったと思います。
先生も親も児童ももう少し、今よりまともだったと思います。
今も昔も寂しい思いをする児童はあると思いますが、
先生がバックアップしてくれていました。
嫌だから休むような児童はいなかったと思います。
今では、休む児童がいるそうですね?
嫌だったら何もかも逃げていいんでしょうか?
心配します。それで社会人になれますか?
やっていけますか?
嫌だったら、そうかそうか止めておきなさい。これ教育?
教育の放棄だと思うのです。

嫌が勝つ児童に育ててはいけません。
ただ、ハードルが高いと感じる児童には、担任だけでなく、
専門知識を持った先生も加わり、
児童の将来も考えて指導して頂きたいと思います。


最後に
いい加減、
教育をずたずたにしないで欲しいと思います。
頑張れる方向を示してあげるのが、
そこへ導いてあげるのが、
教師と思っています。


そのための方法として、
教師は、企業経験者を採用要件の一つとする
クラスの児童数を減らす。20~30名ぐらい。
社会を意識した教育(カリキュラム)。
道徳の授業を行う。
企業体験を年一回程度実施。
最も難しい聖域?教育委員会そのものの見直し。

他にもあると思います。

ただ、昔に比べて、
モンスターペアレンツやネグレクト親が増えているようですので、
そこは教師がお気の毒と思います。
親をも教育しないといけませんので。



追記
体罰について
広い意味で体罰はいけない、
いけないとは理解していますが、
なぜ体罰が存在していたかは理解はできます。
すごくいけないことだと伝えたいからですよね。
こんなこと言うと、体罰容認派だと言われそうですが、
叩く方も叩かれる方も、人として立派である要素を持っていたら
何故叩くのか、何故叩かれるのかが理解できていて、
二度と叩くことのないように、二度と叩かれることのないように
行動を正すことは出来ます。
ただそれは、良い結果をもたらすには、
お互い良識のある人間であるという条件下のみです。
大概は、良識のない人間であり、相手が悪いと思っている以上
表面的な単なる「暴力」として「処理」されるだけです。
叩く側にも、叩かれる側にも、それぞれ、
叩く価値すらない人、叩かれる価値すらない人と私は思っています。

もし、私の子供が叩かれても、上記の条件に当てはまる時は、
先生を批判しません。
後遺症になるほどはそりゃ駄目です。常識の範囲ですよ。
こういう時って面倒くさいと思います。
例外や稀なケースを並べ立てて、
それでも賛成かなどと言ってくる輩がいますので。

以上です。

 

散々勝手申しましたが、

ご容赦願います。



※嫌が勝つ(いやがかつ)
ひとりごと0022(番外006 好き嫌い、嫌が勝つ001)四季の大先輩
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