2023年度 第1学期総括
勉強時間[1150.5分/週]
これまでの中で最も時間が与えられていた学期であるにもかかわらず、要領の悪さも際立ちました。後半戦は、生活の変化があったとはいえ、勉強としては尻すぼみになっていきました。とはいえ、これだけふんだんに時間を使える学期は、もうしばらくないでしょう。また、それを見据えた上での、7科目履修だったので、今学期の所感を次学期以降に活かすだけです。
何よりも理数系の科目(化学・物理・数学)に梃子摺り過ぎています。同時に、大変なものに挑んでいくところに意義を感じて、コース変更した一面もあるので(内容に興味も持っています)、そんなにスイスイできるわけがないというのは開き直りすぎかもしれませんが、気持ちの持ち方としては、このぐらいがいいでしょう。「挑戦」をコンセプトに歩んでいきたく考えています。
現実的に考えると、理数系(化学・物理・数学)は複数取ると、時間を取られます。一方、自然と環境コースなのに、複数取らないというのも変な話です。それと、化学・物理はともかく、数学は科目として取ってすらいないのに、所要時間的には一番大変な思いをしているというのも、考えものかもしれませんが、「効率」だけを追うのも積極的にはなれません。回り道を楽しんでもいます。
いずれにせよ、高校の内容を確実なものにするというのが出発点です。このことは断続的に自覚していましたが、次学期はけじめをつけておきたいです。大学の勉強はそこから始まるという……。これはある意味、スタート地点に戻っているのでしょうか……。連想する一節があります。
Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter--tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning----
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
(『偉大なるギャッツビー』の最後の場面です)
でも、これですと未来に向かって追いかけているはずのものが、既に過ぎ去ったものになってしまっているというか……(直訳は「過去に休みなく押し戻されている」)、そんなに悲壮感あふれる「理数系クエスト」ではありません(そういうエッセンスがあるのは自覚しています)。これとは違う、未知なる未来に向けている眼差しを示すなら……
(ロシア語は分からないので英文です。David McDuffによる訳です。下段の白地から本文です)
(『罪と罰』のエピローグの一節です)
中間部分は第4章を抜きにしては不明になりますが、この一節は未来への期待とその前にあるつけるべきケジメを代弁してくれています。
何を勉強したいのか。どう学んでいきたいのか。
できなかった理科系の科目ができるようになってきている感激と勢いで、コース変更しましたが、追いかけたいテーマは何も見えていません。一方、取ってみたい科目はいくつかあるので、それらを学びながら見出していければと考えています。
(図表削除)
グループ分けは学問的なものではなく、個人的なものです。
(別のところで、文学は心理学に似ていると述べたことがありますが、上記「文学批評への招待」は、テキストの分析が前半を占めていて、人称や語りなどの扱いもあり、コトバ系として分類しました(ちなみに、後半はフェミニズムやポストコロニアルなど、シャカイ系としても括れます)。また、私見ですが、物理は数学の一種として見ています。
以前は五角形の頂点に、ココロ系を置いていましたが、コース変更に伴い配置を変えました。変更したとはいえ、人のココロに対する興味は消えていません。それで中心に据えました。
ちなみに、カッコは聴講科目です。聴講科目の条件は全15回の講義を視聴・聴取して、2期分(開講年度後期は1期分)ある過去問をどちらも60%以上取ることにしています。念のため、これは自己流の聴講科目です。
こうやって学んできた科目を振り返ってみると、いくつかの考えが浮かんできます。専門性を担保しながら、万遍無く学ぶのを理想としているので、現在欠けているスウジ系とシャカイ系が次の取り組む内容でしょうか。スウジ系は、現在の白チャートマラソンが終わったら、履修する予定でいます。悩んでいるのはシャカイ系です。
急がば回れ。