ジンの家に行った。
信じられない光景が!
なんと、自宅がレコーディングスタジオに!→こんな奴いない‼
凄かった。
空いた口が塞がらなかった。
自分も音楽の情熱は負ける気はしなかったが、正直ボロ負けした。
ジンの音楽に対する情熱や姿勢は凄く、全くタメとは思えなかった。
こんなにも凄い奴がいるのかと面食らった。
そして、ジンはヤギちゃん家に連れて行ってくれた。
久々のヤギちゃんは相変わらずの色白ベビーフェイス。
鼻にティッシュを詰めながら→鼻炎やったん⁇
真剣に今はバンドがパンクではなく、ハードロックを取り入れてる話をしてくれた。
やぎちゃんは久々の僕との対面に少し照れ臭そうにしていのを覚えている。(やぎちゃんは僕に対して、真っ赤なロン毛の印象があったからイメチェンでバッサリ切った髪と雰囲気に面食らったみたい 笑)
部屋にはヴァンヘイレンのライブ盤があったのを覚えている。
そして、僕の話も聞いてくれた。
僕は久々の音楽の話をミュージシャンにできた事が何よりも嬉しかった。
それだけで胸がいっぱいになった。
また別の日しょうちゃん家にも行った。
しょうちゃんは綺麗好き。
部屋はまるでモデルルームだった 笑 物凄く大人しい人で、ジンの目をジッと見つめ、話を聞いていたのが印象的だった。
たかさんは酒飲んでパチンコしたり、噂通りいつ死んでもおかしくない、危ない橋を渡る、超アウトローな男だった 笑 バンド以外は全く無関心 笑
*当時からたかさんはめっちゃくちゃな男で有名だった
ジンは車の中で、「こうやって定期的に皆の家に行って士気を上げなあかん‼」と、メンバーを一番に考え、バンドに命をかけていた。
それぞれのメンバーもそんなジンを心から信じて、右向け右で一丸となった一つのチームだった。
特にジンは最先端の音楽を追求して、人にどうやって伝わるかなど、音楽に対しての情熱ははんぱなかった。
毎日ヒットしているアーティストの歌詞を寝る前ノートに書き写し勉強していた。
こんな事を言われたのを覚えている。
「ゆうすけなー、寝たらあかん!落ちるんや」
自分が寝ている間にどんどん周りに追い抜かれていく。
だから、毎日、一生懸命勉強し、気づけば仕方なく寝落ちする。
そのくらいやらなきゃいけないと言われた。
本当に日々自分の努力は惜しまない人だった。
とにかくいろんな意味でCHILDというバンドは凄いチームだった。
僕はそんな彼等にどんどん引き込まれていった。
CHILDはドラマーがいなかった。
そして、自然な流れで、ドラマーとして入らないかという話になった。
皆も凄くいい奴らばかりで僕もCHILDでドラムを叩きたかった。
しかし、その時CHILDはある事務所に面倒見てもらっていて、そこの絡みで別ドラマーがサポートする事が決まってしまった。
残念だった。
仕方ない。諦めるしかない。
一瞬ではあったけど東京で凄く楽しい日々を過ごせた。
久々に声に出して笑えたんだ。
皆のステージを見に行くのはもちろん、一緒にラーメン食べたり、仲間の一員になった気分だった。CHILDが羨ましかった。
皆が一丸となり、厳しさも乗り越え、一つの夢に向かって進んでいるのが羨ましくて仕方なかった。
しかし、僕はまた一人。
お金も尽きてきた。
今はこれからの事を考え、バイトを探す事にした。
住まいもコバの家を出て、親友直人の家に居候する事に。
直人は高校時代の親友、直人もまた東京でお笑い芸人を目指していた。
サザエさんの町、桜新町で共同生活が始まった。
とにかくお金が無く、生活していくのが精一杯だった。
毎日バイトに追われ、切羽詰まる日々。
それでも、色んなバイトしながら直人との東京生活は苦しいだけのものではなかった。
直人のお陰で、東京の友達とも沢山知り合えた。
美容師の見習い、アナウンサー志望、俳優志望、それぞれ夢を持ってこの東京で頑張ってる仲間に沢山出会えた。
皆、夢を持って地方から上京して来ている人ばかりで、職種は違うけど、夢の大きさは同じ。
皆で語り合い、楽しく酒を呑み、それぞれの夢を語り合いながら、個々の力に変えていった。
こうして、頑張ってる人が沢山いる。
自分だけではない。
皆明るく日々頑張ってるではないか!
バイトに追われ疲れきって、目的から遠く離れてしまっているネガティブな自分に喝が入ってきた。
僕の目的はこれでは無い‼
気づけば寒い冬がやって来ていた。ピザのバイトでクリスマス、サンタクロースの格好しながら品川で走り回った事もある。
手が悴み、極寒の中、サンタクロースの格好している自分にふと我に返り、その時思った。(何してんやろ俺は。このままじゃあかん!オカンこんな姿見たら悲しませる‼)
俺は東京に夢を叶えに来たんや‼
僕はクリスマスの翌日大阪に夜行バスで帰った。
そして、大阪で少し冷静にこの先の事を考える事にした。
東京ではCHILDに会った。
同世代があんなにも頑張ってる。僕も負けられない。結局、半年何もできなかった。
こんなんでは大阪に胸をはって帰れない!
正直、半年何もできなく、無計画の自分の甘さが情けなく悔しかった。
しかし、大阪の友人達は笑顔で僕の背中を押してくれた。
何よりも母が僕の背中を押してくれた。
いつ、帰って来てもいいように、そのままにしてくれてる自分の部屋を見て僕は、奥歯を噛み締め自分を恥じた。
親、友人、期待して待っててくれてるお客さん。
【負けたくない‼】
元旦、男として絶対やってやると決意して、今年こそは絶対納得できるロックバンドつくるんやと、今まで以上強く決意した。
その時だった‼
1月2日
ジンからの電話
一言目の言葉はこうだ。
「ユウスケ出番やわ」
自分の気持ちの仕切り直しと同時にCHILDから誘いの電話が来たのだ‼
これもまたタイミングなのか⁉
東京でまた音楽ができるかもしれない。
僕は正月そうそうメラメラとヤル気が出てきた。
そして、東京に戻り、CHILDのミーティングに参加する事に。
続く…。
地元の風景。心を清める
iPhoneからの投稿
信じられない光景が!
なんと、自宅がレコーディングスタジオに!→こんな奴いない‼
凄かった。
空いた口が塞がらなかった。
自分も音楽の情熱は負ける気はしなかったが、正直ボロ負けした。
ジンの音楽に対する情熱や姿勢は凄く、全くタメとは思えなかった。
こんなにも凄い奴がいるのかと面食らった。
そして、ジンはヤギちゃん家に連れて行ってくれた。
久々のヤギちゃんは相変わらずの色白ベビーフェイス。
鼻にティッシュを詰めながら→鼻炎やったん⁇
真剣に今はバンドがパンクではなく、ハードロックを取り入れてる話をしてくれた。
やぎちゃんは久々の僕との対面に少し照れ臭そうにしていのを覚えている。(やぎちゃんは僕に対して、真っ赤なロン毛の印象があったからイメチェンでバッサリ切った髪と雰囲気に面食らったみたい 笑)
部屋にはヴァンヘイレンのライブ盤があったのを覚えている。
そして、僕の話も聞いてくれた。
僕は久々の音楽の話をミュージシャンにできた事が何よりも嬉しかった。
それだけで胸がいっぱいになった。
また別の日しょうちゃん家にも行った。
しょうちゃんは綺麗好き。
部屋はまるでモデルルームだった 笑 物凄く大人しい人で、ジンの目をジッと見つめ、話を聞いていたのが印象的だった。
たかさんは酒飲んでパチンコしたり、噂通りいつ死んでもおかしくない、危ない橋を渡る、超アウトローな男だった 笑 バンド以外は全く無関心 笑
*当時からたかさんはめっちゃくちゃな男で有名だった
ジンは車の中で、「こうやって定期的に皆の家に行って士気を上げなあかん‼」と、メンバーを一番に考え、バンドに命をかけていた。
それぞれのメンバーもそんなジンを心から信じて、右向け右で一丸となった一つのチームだった。
特にジンは最先端の音楽を追求して、人にどうやって伝わるかなど、音楽に対しての情熱ははんぱなかった。
毎日ヒットしているアーティストの歌詞を寝る前ノートに書き写し勉強していた。
こんな事を言われたのを覚えている。
「ゆうすけなー、寝たらあかん!落ちるんや」
自分が寝ている間にどんどん周りに追い抜かれていく。
だから、毎日、一生懸命勉強し、気づけば仕方なく寝落ちする。
そのくらいやらなきゃいけないと言われた。
本当に日々自分の努力は惜しまない人だった。
とにかくいろんな意味でCHILDというバンドは凄いチームだった。
僕はそんな彼等にどんどん引き込まれていった。
CHILDはドラマーがいなかった。
そして、自然な流れで、ドラマーとして入らないかという話になった。
皆も凄くいい奴らばかりで僕もCHILDでドラムを叩きたかった。
しかし、その時CHILDはある事務所に面倒見てもらっていて、そこの絡みで別ドラマーがサポートする事が決まってしまった。
残念だった。
仕方ない。諦めるしかない。
一瞬ではあったけど東京で凄く楽しい日々を過ごせた。
久々に声に出して笑えたんだ。
皆のステージを見に行くのはもちろん、一緒にラーメン食べたり、仲間の一員になった気分だった。CHILDが羨ましかった。
皆が一丸となり、厳しさも乗り越え、一つの夢に向かって進んでいるのが羨ましくて仕方なかった。
しかし、僕はまた一人。
お金も尽きてきた。
今はこれからの事を考え、バイトを探す事にした。
住まいもコバの家を出て、親友直人の家に居候する事に。
直人は高校時代の親友、直人もまた東京でお笑い芸人を目指していた。
サザエさんの町、桜新町で共同生活が始まった。
とにかくお金が無く、生活していくのが精一杯だった。
毎日バイトに追われ、切羽詰まる日々。
それでも、色んなバイトしながら直人との東京生活は苦しいだけのものではなかった。
直人のお陰で、東京の友達とも沢山知り合えた。
美容師の見習い、アナウンサー志望、俳優志望、それぞれ夢を持ってこの東京で頑張ってる仲間に沢山出会えた。
皆、夢を持って地方から上京して来ている人ばかりで、職種は違うけど、夢の大きさは同じ。
皆で語り合い、楽しく酒を呑み、それぞれの夢を語り合いながら、個々の力に変えていった。
こうして、頑張ってる人が沢山いる。
自分だけではない。
皆明るく日々頑張ってるではないか!
バイトに追われ疲れきって、目的から遠く離れてしまっているネガティブな自分に喝が入ってきた。
僕の目的はこれでは無い‼
気づけば寒い冬がやって来ていた。ピザのバイトでクリスマス、サンタクロースの格好しながら品川で走り回った事もある。
手が悴み、極寒の中、サンタクロースの格好している自分にふと我に返り、その時思った。(何してんやろ俺は。このままじゃあかん!オカンこんな姿見たら悲しませる‼)
俺は東京に夢を叶えに来たんや‼
僕はクリスマスの翌日大阪に夜行バスで帰った。
そして、大阪で少し冷静にこの先の事を考える事にした。
東京ではCHILDに会った。
同世代があんなにも頑張ってる。僕も負けられない。結局、半年何もできなかった。
こんなんでは大阪に胸をはって帰れない!
正直、半年何もできなく、無計画の自分の甘さが情けなく悔しかった。
しかし、大阪の友人達は笑顔で僕の背中を押してくれた。
何よりも母が僕の背中を押してくれた。
いつ、帰って来てもいいように、そのままにしてくれてる自分の部屋を見て僕は、奥歯を噛み締め自分を恥じた。
親、友人、期待して待っててくれてるお客さん。
【負けたくない‼】
元旦、男として絶対やってやると決意して、今年こそは絶対納得できるロックバンドつくるんやと、今まで以上強く決意した。
その時だった‼
1月2日
ジンからの電話
一言目の言葉はこうだ。
「ユウスケ出番やわ」
自分の気持ちの仕切り直しと同時にCHILDから誘いの電話が来たのだ‼
これもまたタイミングなのか⁉
東京でまた音楽ができるかもしれない。
僕は正月そうそうメラメラとヤル気が出てきた。
そして、東京に戻り、CHILDのミーティングに参加する事に。
続く…。
地元の風景。心を清める
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