BPもなくなり、次はどうしようかと毎日悩んでいた。
あの時の自分は本当に生気を失っていた。
BPの東京ライブ時、先に東京に出ていた地元の親友コバの家によく泊まらせてもらってた。
その時に「ゆーちゃん東京出てきーやー」と言われていて、僕も時期が来たら上京したいと常々思っていた。
なぜなら十代東京に刺激を受け、東京で通用するロックドラマーになりたかったからだ。
東京=プロドラマー
みたいなイメージ。
てか、自分がどこまで通用するか知りたい‼
ここがいい時期なのかなと思い、腹を決め、いよいよ親元から離れ
東京に出る決意をした。
先ずはお金が必要だった。
朝から千里山のお好み焼き屋さん、夕方からは江坂の中華屋さんと毎日朝から晩まで働いた。
この時期はスティックどころがコテを握ってる方が多かった →あかんやん‼
全ては東京に出るまでの我慢‼
ここは割り切って夢の準備に徹した。
そして、4ヶ月くらいで70万円くらい稼いだ。
よし‼
上京は7/22だ‼
母には上京の話をさり気なく言う事にした。
何故なら、音楽活動は25歳までの約束。
ここで本腰に東京移住と聞いたらきっと反対されるだろう。
さらっと、さり気なく言うしかない。
そして、なに気なく母に言ってみた。
幸い名古屋、東京はよくツアーで行っていたので、母もまたすぐ戻ってくると思っているみたいだ。
そして、ちょっと東京行って来ると母に軽く言って新大阪のホームまで見送ってくれる事に。
18:17発 ひかり130号
道中、期待と不安が絡めあった。
何もツテの無いまま上京して本当にこれが最善のタイミングだったのだろうか?
いや、今のタイミングで出なきゃズルズルまた関西でゴニョゴニョ生活。東の空見てはため息の毎日であろう。
しかし、もう僕は東京に向かってるのだ!もう後戻りはできない。
後戻りは負けを意味する。
そう自分に言い聞かせた。
今でも新幹線に乗るとあの日の事を思い出す。
そして、念願の東京に上陸‼
今日からコバの家に居候し、東京生活がスタートする。
東京はもう夜で、すでに暗かった。右も左も分からなかった。
着いたら渋谷まで来いとの事だった。山手線で東京駅から渋谷まで行くと、吹田時代の親友ガッツとコバが迎えに来てくれて井の頭線に乗り三鷹台まで行った。
今日からここが僕の最寄り駅。
親元から離れ、自立し今日から東京生活がスタートする。
三人で井の頭通りのジョナサンに行き、遅い夕飯を食べた。
コバは「知らん土地に来たんやから暫くはゆっくりしたら?」と言われていたけど、僕はジッとはしていられなかった。
プロドラマーになりに来ている。
一分一秒僕には時間が無かった。
って言っても、伝手やコネなど全くない。
さて、どうするもんかとゴニョゴニョゴニョゴニョ…。
結局、上京して一ヶ月はなーにもしないで友達と呑みに出歩く毎日。時間だけが容赦なく経ち、気持ちだけはどんどん焦っていった。
メンバーを探すといっても宇宙の様に広がる未知な東京で、何をどうすればいいか分からなかった→言い訳…。
正直東京はデカすぎた…。→何もしてないやん‼
また、ゼロ地点に戻り、しかも知らないコネクションもない東京。
一応、吉祥寺の楽器屋、スタジオ、ライブハウスのメンバー募集貼り紙など、また一からの再スタートの気持ちで探したけど、なかなか見つからなかった。
家でもインターネットを使い、メン募も毎日チェックした。
何度か色んな人とスタジオ入ったけど、なかなかうまくはいかなかった。
だんだんドラムの練習もしなくなっていった。
何か目標がないまま漠然と練習するのは何か力が入らなかった。
いずれ東京には出ると決めてたなら、東京の対バンさんと多少なりとも繋がっとけば良かったと自分に後悔。あんなにも沢山共演する機会があったのに…。
途方に暮れる毎日を過ごす中、自分の携帯アドレスに一件ミュージシャンの友達が居た事を思い出した。
★ジンだ★
そうや‼そういえばCHILDは東京や‼
続く…。
次回いよいよ、ジンに連絡!
今でも大切に持っている。
iPhoneからの投稿
あの時の自分は本当に生気を失っていた。
BPの東京ライブ時、先に東京に出ていた地元の親友コバの家によく泊まらせてもらってた。
その時に「ゆーちゃん東京出てきーやー」と言われていて、僕も時期が来たら上京したいと常々思っていた。
なぜなら十代東京に刺激を受け、東京で通用するロックドラマーになりたかったからだ。
東京=プロドラマー
みたいなイメージ。
てか、自分がどこまで通用するか知りたい‼
ここがいい時期なのかなと思い、腹を決め、いよいよ親元から離れ
東京に出る決意をした。
先ずはお金が必要だった。
朝から千里山のお好み焼き屋さん、夕方からは江坂の中華屋さんと毎日朝から晩まで働いた。
この時期はスティックどころがコテを握ってる方が多かった →あかんやん‼
全ては東京に出るまでの我慢‼
ここは割り切って夢の準備に徹した。
そして、4ヶ月くらいで70万円くらい稼いだ。
よし‼
上京は7/22だ‼
母には上京の話をさり気なく言う事にした。
何故なら、音楽活動は25歳までの約束。
ここで本腰に東京移住と聞いたらきっと反対されるだろう。
さらっと、さり気なく言うしかない。
そして、なに気なく母に言ってみた。
幸い名古屋、東京はよくツアーで行っていたので、母もまたすぐ戻ってくると思っているみたいだ。
そして、ちょっと東京行って来ると母に軽く言って新大阪のホームまで見送ってくれる事に。
18:17発 ひかり130号
道中、期待と不安が絡めあった。
何もツテの無いまま上京して本当にこれが最善のタイミングだったのだろうか?
いや、今のタイミングで出なきゃズルズルまた関西でゴニョゴニョ生活。東の空見てはため息の毎日であろう。
しかし、もう僕は東京に向かってるのだ!もう後戻りはできない。
後戻りは負けを意味する。
そう自分に言い聞かせた。
今でも新幹線に乗るとあの日の事を思い出す。
そして、念願の東京に上陸‼
今日からコバの家に居候し、東京生活がスタートする。
東京はもう夜で、すでに暗かった。右も左も分からなかった。
着いたら渋谷まで来いとの事だった。山手線で東京駅から渋谷まで行くと、吹田時代の親友ガッツとコバが迎えに来てくれて井の頭線に乗り三鷹台まで行った。
今日からここが僕の最寄り駅。
親元から離れ、自立し今日から東京生活がスタートする。
三人で井の頭通りのジョナサンに行き、遅い夕飯を食べた。
コバは「知らん土地に来たんやから暫くはゆっくりしたら?」と言われていたけど、僕はジッとはしていられなかった。
プロドラマーになりに来ている。
一分一秒僕には時間が無かった。
って言っても、伝手やコネなど全くない。
さて、どうするもんかとゴニョゴニョゴニョゴニョ…。
結局、上京して一ヶ月はなーにもしないで友達と呑みに出歩く毎日。時間だけが容赦なく経ち、気持ちだけはどんどん焦っていった。
メンバーを探すといっても宇宙の様に広がる未知な東京で、何をどうすればいいか分からなかった→言い訳…。
正直東京はデカすぎた…。→何もしてないやん‼
また、ゼロ地点に戻り、しかも知らないコネクションもない東京。
一応、吉祥寺の楽器屋、スタジオ、ライブハウスのメンバー募集貼り紙など、また一からの再スタートの気持ちで探したけど、なかなか見つからなかった。
家でもインターネットを使い、メン募も毎日チェックした。
何度か色んな人とスタジオ入ったけど、なかなかうまくはいかなかった。
だんだんドラムの練習もしなくなっていった。
何か目標がないまま漠然と練習するのは何か力が入らなかった。
いずれ東京には出ると決めてたなら、東京の対バンさんと多少なりとも繋がっとけば良かったと自分に後悔。あんなにも沢山共演する機会があったのに…。
途方に暮れる毎日を過ごす中、自分の携帯アドレスに一件ミュージシャンの友達が居た事を思い出した。
★ジンだ★
そうや‼そういえばCHILDは東京や‼
続く…。
次回いよいよ、ジンに連絡!
今でも大切に持っている。
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