ギガスレイブ解散前、生駒山上遊園地の野外イベント公演に先輩ネイキッドのハセさん、zo:diaekのダイくんが観に来てくれていた。


そこで、先輩達の僕より豊富なロック話に興味深々だった。

その時、僕は聴く音楽も変わってきていてメタルやハードロックはもう聴かなくなってきた。
どんどんキャッチーなポップスも聴くようになり、ジャンルは問わず、歌を大事にした音楽に興味を持つようになってきていた。

元々、兄の影響で音楽に興味を持つようになった。
きっかけはヘヴィーメタル、ハードロックはもちろん、80sのアメリカンポップスもいつも家で流れていたからだ。
そういう幼い頃の聴いてきた音楽がまた蘇り始めてきた。

そこで、解散と同時に化粧などしない骨太ロックバンドをしないかと先輩バンドzo:diaekのダイくん、ネイキッドのハセさん、マコトくんに誘われた。(結果的に少しする事になりましたが…)
以前から先輩のロック感には興味を持っていたし、更なる次のステージにいくため、この人達と組む事により自分がもっと音楽的に成長できると感じたからだ。

そして、名古屋の事務所に力を借りてBP.MOSCUTEを結成する事になった。

そこで、先輩達のお陰でロックはもちろん、ドラムという楽器を本当に見つめなおす事ができた。

今まで太鼓も多いし、シンバルも多い、多点セットだったけど、
「ドラムはビートや!三点(バスドラ、ハイハット、スネア)良くないとロックちゃう!」とハセさんにこっぴどく言われリズムを鍛えられた。
只々大きい音で手数、足数が多く、荒々しいドタバタドラムではなく、しっかりと腰据えたシンプルビートこそが一番説得力がある。
そこで初めてグルーヴこそが音楽的で、時に優しく、時にヘヴィーでリズム根本の大切さに気づかされた(今でも音楽の感動はメロディではなく、リズムだと思っている)
どんなドラムが派手なセットで沢山叩いても、グルーヴが良くなければ音楽的ではない。

これを気づかされたのは革命的だった。
僕はまたここで新たな電流が走った。

ドラムに対して、音楽、ロックに対して180度変わる転換期だった。

世界が変わった感じがしたのだ→大袈裟

聴く音楽も細部まで聴こえてきて、深みももっと知り、色んなリズムがある音楽がどんどん好きになってきた。

今までのラックシステムを取り外し、シンバルも、太鼓も全部取った。 そう、リンゴスターと同じ三点セットで勝負しようと決めたんです(ワンバス、ワンタム、ワンフロア)。

大きな挑戦だった。
本当の実力が問われる。ここからがドラマーとしての本当の戦いが始まるのです。

そしてこの時期からが今の僕のスタイルですね。

しかし、時は奇しくもタイムリミットが迫っていた!
すでに20歳を越えていたのだ‼

母との音楽活動約束あと、二年しかない!

二年ではまだまだ時間が足りない。

ある夜母に頼んだ。

「俺には夢があんねや。ドラムで沢山の人魅了したい。 25歳まで時間ほしい。」と頼み込んだ。


母は頑張りなさいと、うなずいてくれた。

心配をかけまくってる親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった(今もだが…)

そりゃそうやろ。今まで朝から晩までバスケの事しか言わないスポーツ一筋少年がいきなり、髪の毛真っ赤全立ちのヘヴィメタ少年なるねやから…。
もし自分の子供かと思うとゾッとしますわ 苦笑

そして、僕のヤル気は全く失うどころか燃えに燃えまくっていた‼→今もです 笑


BPは先ず音源制作に入った。先ずは名刺が必要だったのだ。

このレコーディングは名古屋のどこか忘れたけどレコーディングスタジオでおこなった。

このバンドの初の音源!
新たな気持ち!
自分への挑戦!

しかしっ‼


あまくは無かった。。。


そして、ドラマーユウスケはまたもやここで挫折を覚えるのだ‼


次回続く…。


BP初音源!
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