今朝(7月2日付け)の朝日新聞に、キルギスの女性が紹介されていました。

モスクワで開かれた日本語のスピーチ・コンテストで準優勝し、日本に招待されたこともある女性が、本国に戻って日本語の講師をしていたのですが、先日のキルギス動乱後、音信不通なのだそうです。


筆者は1995年から2年間、キルギスの首都ビシュケクに数週間から2ヶ月ずつ、7・8回出張した経験があります。

その間、日帰りでオシに行ったり、西遊記に「熱海」として紹介されているイシク湖(現地の呼び方はイスィクル、日本語標記はイシク・クルですが、「クル」は湖の意味ですので、イシク湖が妥当)を1周したりして、見聞に励んだものです。


キルギス人は羊を中心とする遊牧民であり、モンゴル人と同様に山の牧草地に興味を示す民族ですので、隣国のウズベク人に肥沃な農耕地域を「とられてしまい」、自分達は辺境の山間部に点在している感があります。

地図を見ると、フェルガナ盆地の中心部をウズベク、周辺部をキルギスで分けているのが良く分かります。

これが今回の民族衝突がおきたジャララバードとオシの両州の背景と思われます。


悪いことに、この両州は首都ビシュケクとは天山山脈の支脈で遮られ、直接の交通路が空路しかないのです。

電車や自動車では、山を迂回するためにウズベクに入るしかありません。 (これが、シルクロードとして発達したルートです。)


多分、ジャララバードとオシの騒乱は、軍とその統率者に全権を委任して鎮圧するしかないと思われます。

ここで出てくる「軍」というのが、ロシア軍になるのでしょう。 恐らく、政府には軍を派遣する費用もない程小さな国家ですから。

しばらくは、推移を見守ることにしましょう。



さて、キルギスを思い出したついでに、昔話しをしますと、彼らは本当に日本人と似ています。

彼らから見ると、日本人が彼らに似ているのでしょう。

筆者も現地の帽子(ウールで作ったカルパック)をかぶって市内を歩くと、よく話しかけられたものです。

その用の半分は、「今何時?」のようでした。 「動く」腕時計が珍しかったようです。


現地で分かったのは、女子の方が良く勉強することです。何故か?

理由は2つ、男子は兵役にとられて2年間、科学や芸術とは無縁で過ごすことと、男子が活躍する場が牧畜しかないことです。


現地における男の価値は、①馬を自在に操れること ②複数の家族を養うことでした。

社会の生産高が低いことと、社会保障に頼れない(牧畜をする人は住民台帳を作りようがない!!)ことが一夫多妻の根源のようです。

「年取った女性は1人で生活できない」のが彼らの常識であり、「自信のある男は複数の女性を、老後まで面倒見ること」が遊牧民族の男の甲斐性に見えました。

キルギスでは、イスラム教徒なら4人まで奥さんを持って良いそうで、タクシーの運ちゃんに「オレはジェナ(妻)が4人居る。すごいだろう」と自慢されたこともあります。


だから、男の子は上から独立し、その時第二夫人以下の母親を引き取って老後の世話をするのが条件と想像できます。で、父親の元には末っ子が残り、残った財産を全て相続する。これがモンゴル帝国の「オッチギン」ですよね。 政治の頂点には立たなくても、王族・皇族の中で大きな発言権を持った家です。


話しが大分逸れましたが、一夫多妻には遊牧民族の社会的必要性が含まれるいうことです。



さて、ソ連が崩壊した混乱期に、普通のキルギス人が言っていたことは「ノーモア モスクワ」です。どんなに貧乏してもモスクワ体制には戻りたくないということでした。

「ノーモア モスクワ」と言うなら経済的な独立が必要ですが、「農業とせいぜい鉱業しかないこの国で経済的な独立は難しい」というのが筆者の感想でした。


あれから15年経ち、途中で大統領が2人も追放されましたが、やはり経済政策がうまく行かなかったのかと感じています。それほど、あの国の経済は難しいのです。


話しが意図しない方向にずれてしまいました。 私生活面の紹介は次回をお楽しみに。

 今日は3か月ぶりで我が家の庭掃除です。

我が家と言っても、妻の実家の持ち物を賃借しているのですが、東隣が田圃(今は休耕中)という、緑と隣り合わせているのが自慢の家です。ここで子供3人を育ててもらったのですが(哀しいかな、私はバブル崩壊後の不況でほとんど出稼ぎ状態でした)、子供が成人して独り立ちした後は、妻に守ってもらっている状態です。


妻には「オレの側に来たら」と言うのですが、「20年生活して根を張った所から移れない。私が始めた学童保育をどうするの。近くにいる両親やおじさん・おばさんにも頼られているし」とのことです。ナルホドなあ・・・

それに私自身も元々、田舎の自然と共に暮らすのが夢なので、それ以上押す気にもなれません。


という次第で、私が時々帰って妻と親族に「仕事と収入を持って帰ることができず、済みません」とお詫びを言うのがここ数年続いています。


で、妻が仕事に出ている自宅に帰り、梅雨の合間に裏庭の草刈りと垣根のトリミング(出すぎた所を切って平に揃える)をやるのですが、まず何といっても「暑い!!」。 都内の排熱地獄の暑さとは一味違い、草いきれと直射日光が合わさってボーッとする暑さです。

当に太陽のエネルギーの大きさと人間の小ささを再確認する瞬間です。


又、雑草の元気さとしぶとさにも、あきれるやら感心するやら。

汗ぐっしょりになりがら、手作業の草刈りに励んだ半日でした。


お陰で、風の匂い、草木の匂いと日光を浴び、俗世を忘れる爽快さを十分に味わうことができました。

皆様も是非、こんな時間をお持ち下さい。 そうすれば、仕事に取り組むエネルギーを十分に補給することができるでしょう。

 ヨーロッパに旅行された方々のイギリスに対する評価は;

・女性に優しい、 日本人女性はモテる

・文化面で気前が良い  博物館や美術館が無料

・建物やファッションのデザインが良い

・街が黒ずんでススけた印象がある


に加えて、必ずあるのが下記です。

・料理がまずい

・コソ泥やスリが多い


最後の点については筆者も賛成です。この国全体が油断のならない人達の集合体と思えます。

何故なら、大英博物館の展示物の主要部分は「略奪物」ですから。

メソポタミア、エジプト、インド、中国等々、諸所の文化物を英国に持ち帰って展示しているのです。

中には、アテネのパルテノン神殿の奥殿のように、元々あった国(ギリシャ)から返却を求められているものまであるそうです。


このように、世界を征服するのに夢中になった国だから、料理を味わう舌がおろそかになったと言えないこともありません。


筆者は合計6年間現地で暮らしてみて、自分なりに実状が分かりました。


イギリスの料理はどこも不味いか?

いいえ、決してそんなことはありません。


例えば、湖水地方ウィンダーメアのホテルで食べた『鱒の燻製』(Smoked trout)は、厚岸産の牡蠣や日本海の冬の鮑と並んで絶品でした。

体長30cm位の大きめの鱒を軽く燻製したものにレモンを絞り、冷たくしたドライな白ワインと食べた時の感動は今も残っています。


それに、ドーバー海峡で獲れた鰈(かれい)もおいしかった。ここはドーバー・ソウル(平目)が有名ですが、鰈の方がおいしいのです。

土曜日の午前中にドーバーの海岸まで車で一っ走りし、民家に「魚販売中」の看板を見つけて「プレイス(鰈)をくれ」と買って帰ります。「ソウルはどうだ」と言われても「ノーサンキュー」です。

それをカミさんが、味噌か醤油で一夜漬けにしてくれ、翌日焼いて食べるのが我が家で最高のごちそうでした。


他にもおいしいものはあります。

ロンドンから車で1時間以上走ると、のどかな田園地帯になりますが、村のホテルが経営するレストランはどこでも、ローストビーフとマッシュポテトがおいしいものでした。

ロンドン市内で1人15,000円(当時70ポンド位)払うよりも、田舎のレストランの3,000円(15ポンド程度)のローストビーフの方がずっとおいしかったです。


これでお分かりでしょうか?

皆さんが「不味い」と評するのは、ロンドン市内の旅行者向けレストランなのです。

一見客しか想定していない店であり、頻繁に客が入るので、努力せずに儲けることを覚えてしまったのだから、不評も当然です。日本でも同じ現象が見られるでしょう。


その対策として我々旅行者が身に着けるべき知恵は;

1.ロンドン市内でおいしいものを食べたかったら、まずインド料理、次に中華料理を探すこと。

  (大英帝国時代の料理人は安心できる。)

2.現地人が入る店を選ぶこと。 この場合の現地人とは、インド料理のインド人、中華料理の中国人です。

  (韓国人が入る焼肉店もおいしいです。)

3.繁華街の中心部よりも、周辺部か少し外れた場所で繁盛している店が経営努力を証明しており、安心。


筆者も先駆者から仕入れた情報ですが、皆さんのご参考になれば幸いです。