今年、1月に島原の太田一也先生(90)の訃報に接したのだが、ちょうどその頃入手したご著書「雲仙普賢岳噴火回想録」(434p)を読んでから記事を書こうと思いながら、読み通すのは至難でそのままになってしまっていた。最近、筑波のSさんから太田先生の追悼回想記の原稿を送られて、思い出した次第。

 

はじめて太田先生にお会いしたのは、1991年1月4日頃、島原の観測所に家族で伺い、前年11月で生じた地獄跡火口付近の立ち入りを許可頂いた。その後、4月から本格的な噴火になり、大学合同観測班に加えていただき、初めての当番は同年8月下旬で、それから約4か月に一度、一週間弱の当番をこなして合計8回、島原観測所のお世話になった。毎日条件が良いとヘリ搭乗があり、降りてきて記者の取材があり、だいぶ勝手なことを喋ったような記憶があり太田先生や所員の方の顰蹙を買ったかも知れない。カナダの知人研究者と島原に行った時は残念ながらヘリ搭乗の許可は下りなかったが当然だったかも知れない。

 

噴火終息後も国際研究集会や雲仙掘削等で島原へ行く機会はあったが、最後に行った時に所内セミナーで太田先生にお会いして少しお話したが太田節は健在だな、と思った記憶がある。ともかく多々お世話になり感謝する次第です。