昨日は、六甲ケーブル下ー前ケ辻谷ー山上ー表六甲道路のコースで土橋石英閃緑岩の産状を見て来た。以前、六甲花崗岩で学位を取られたAさんが付いて来て下さり、文献ではちょっと変わったmafic岩の産状をだいたい見る事ができた。

六甲花崗岩自体は粗粒、中粒、細粒の花崗岩だが、その中に少し苦鉄質な石英閃緑岩が、ブロック状〜混交状に産すると論文には記述されており、何故、いわゆる苦鉄質包有物のような産状にならなかったのか疑問に思った次第。

地表露頭で見るとブロックのサイズは数cmから数mのものがあり、急冷周縁相はみられなかったが、境界に1〜2mm幅で苦鉄質鉱物が濃縮しているものが転石で見られた。多い処では苦鉄質なものが50%を越えるが、全体として土橋石英閃緑岩が見られる範囲での石英閃緑岩の割合は高々10〜20%程度。

混交した部分では流理が見られ、個々の試料で混合の程度は様々。

石英閃緑岩の中に筋状に優白質の幅2〜3mmの脈が数本入っているものがあった。

全体の印象としては、maficとfelsic magmaの温度差が小さい可能性があると思った。通常のイメージでは、低温のfelsic magmaに高温のmafic magmaが貫入してmafic inclusionが生じるが、土橋石英閃緑岩の場合、貫入順序が逆で石英閃緑岩がかなり固化した処に花崗岩マグマが貫入した可能性が考えられる。通常ならば、茨木複合深成岩体のように、累帯深成岩体になるのだろうが、後続の花崗岩マグマが大量で破壊的に貫入したために、この様な産状のなったのかも知れない。


地質図に塗れるユニットとしての認識は六甲トンネルの掘削時の記載で多量の石英閃緑岩が出てきた事が元になっているが、その六甲トンネルの記載は笠間(1968)応用地質にされている事を教えて貰った。その図を見るとトンネルの南口から約1000mは石英閃緑岩が主体で出ている。

Aさんに来てもらい土橋石英閃緑岩の産状がだいたい分かった感じ。一人だととても分からなかったと思う。

標高差550mは、今の私には限界超えで、帰り道は下りながら結構しんどかった。23000歩.夜中に両脚が攣り、漢方薬で治まった。

 

少し写真.

中~細粒花崗岩中の微小晶洞(ミアロリティック組織).

 

見た中で最大規模の石英閃緑岩の岩塊(~5m長)

前ケ辻谷の左岸から右岸に渡る場所(標高~500m)

 

転石だが,細粒花崗岩と石英閃緑岩が接した部分に有色鉱物が濃集している.石英閃緑岩内に幅数㎜の優白色脈?が認められ花崗岩との境界とは斜交しているので石英閃緑岩は破断されたものと思われる.

 

 

山上の旧六甲ホテルでトイレを借りたついでに喫茶室に入ってひと休み.アップルパイセット,目の前でシェフさんが作って下さる.軽くて美味しい。