気になって予約で借り出し、毎日約50頁余り読んで9日。これを読むと、立花隆が、1970年代に田中金脈を暴いて退陣のきっかけを作り、その後も多面的な活動を続けた原動力のようなものを感じることができた。特に、大学1、2年次のヨーロッパ反核無銭旅行(第8章).


当時は海外旅行は自由化される前で、一般の人は海外に行く事はできない時代。入学してしばらくして海外に出る方途として原爆被災を訴えることを思いつき細かい調べをしている。6月の安保改定阻止集会で、相棒となる駒井氏に相談して快諾。8月の広島での原水禁世界大会で海外から来た人達に映画と写真を持って原爆被害の実態を訴えたいという趣意書を配布。写真は土門拳の「ヒロシマ」,映画は新藤兼人監督の「原爆の子」。それぞれ会いに行って支援を取り付けている。その年の残りは安保改定阻止運動。


1960年1月末に、ヨーロッパ連合から4月の核軍縮会議への招待状が届き動きだす。肝心の渡航費用(2人で100万円ー今の1000万円以上)をカンパで頑張るが半分位、ギリギリになって教員から茅総長にお願いに行くことを勧められ、その場で読売新聞からの支援を受けて渡航が可能になる。4月6日出発で、結局8月10日アムステルダム出港10月12日名古屋帰国迄、本当に凄い経験をしている。10代で並外れた活動経験。


本の構成は、序論(82頁)、第1章:無人島生活6日間(28)、第2章: モンゴル皆既日食体験(8)、第3章:ガルガンチュア風暴飲暴食の旅(24)、第4章: フランスの岩盤深きところより(16)、第5章: ヨーロッパ・チーズの旅(22)、第6章: 神のための音楽(17)、第7章: 神の王国イグアス紀行(22)、第8章: ヨーロッパ反核無銭旅行(63)、第9章: パレスチナ報告(54)、第10章: 独占スクープ・テルアビブ事件(18)、第11章: アメリカの世論を変えたパレスチナ報道(4)、第12章: 自爆テロの研究(24)、第13章: ニューヨーク’81(64)、第14章: AIDSの荒野を行く(49)


第9章のパレスチナ報告は、この地の問題が多様な歴史、宗教史を反映して極めて複雑な様相を呈していることが書かれている。半世紀前の報告なので、その後の変化も大きいだろうが、当時の把握としては行ける処まで行っている感。第13章も同様。