3月5日にTH大の二人の先生方の最終講義に出席し,引き続いて2日間,津波被災地を訪れた.昨年3.11の後,できたら3カ月以内には現地に行きたかったが,防災の専門家でもなくヴォランテイアをするわけでもないのでつい行きそびれていたのだが,1年目直前に機会を得た.
行程は,仙台-一関-気仙沼-陸前高田-吉浜-釜石-遠野(泊)-釜石-大槌-山田-宮古-盛岡-仙台.もう瓦礫は街からは片付けられており被災の現場は更地になっているが,多くの犠牲者の中で残された人々が復興に必死である状況を少し感じる事ができた.
3月6日 仙台を8時過ぎに出て一関経由で気仙沼に向う.

○気仙沼港付近は道路が50cmかさ上げされており明らかに地盤沈下した状態.港に面した建物は2Fまで窓ガラスが破壊されたままになっている..
○鹿折唐桑地域は2km程度内陸まで家の土台だけ残った更地になっており,1000トンクラスの船や小さい漁船などがそのままになっている一方,道沿いにコンクリの電信柱が立っている.

○唐桑出山にローソンがあって入ったが,その付近は全面的に流されて,元スーパーがあったところにこの1月に開店したとのこと.
○陸前高田は高田大橋は再建されているが,市街地は完全に更地になっている.道路と電信柱だけたてられている.高田松原のあった処へ行くと,国土地理院の下請けの人(ツカサ技研)がおられ,GPSを設置する準備をしているとのこと.元の砂浜は波浪浸食で殆ど失われ,松の根が掘り起こされたような状態で散在している.30cm径の石灰岩ブロックで幅2m程度の堤防が作られていて,差し当たりそれで防いでいる.

一方で瓦礫は集められておりその再仕分けをしている様子だった.

見渡す限りの更地

市役所庁舎も4F以上に津波が達したようだ.

地域の大型スーパーのMAIYAも津波にのまれている.

陸前高田ではガソリンスタンドだけは営業を再開していた.

山側の道を通ると,(仮)市役所(プレハブ)の近くでは道端に多くの車が駐車しており,復興への強い動きが感じられた.

松原のあった処

陸前高田から大船渡へ行く途中,新しいプレハブのお店が繁盛している.

○大船渡は市街のかなりの部分はやはり更地になっているが,山側にある太平洋セメントの工場は操業していた.

JRの線路は大半撤去されている.

赤崎中学校の校庭では瓦礫の片付けがおこなわれていた.

綾里湾を望む部分では標高20m付近まで周囲の林にゴミが残っていて津波が達したことが判る.

○大船渡市吉浜ではやはり低地の平野は更地だが,測量事務所に居た人に聞くと,この部落は1896年の明治三陸津波でやられてから高台移転したため今回は1名行方不明がいるものの殆ど被害はなかったとのこと.ただ,斜面の途中にある測量事務所の1階まで津波が来て事務所内はやられてしまったとのこと.

○唐丹(とうに)堤防は一部決壊.低い部分は流されており,小学校も1階以上まで浸水したようだ.高台に移転していた住居は大丈夫.国道沿いの高台に仮設.

○釜石市内,『遺体』の舞台になったところだが,新日鉄の前の橋のあたりから海側が被災.建物はまだ一部瓦礫が残ったまま.営業を始めていたのは,散髪屋,ガソリンスタンド,建設会社,病院など.暮れてしまったので遠野に向かうも新日鉄前付近の渋滞がひどくて,1kmを行くのに1時間半位かかった.途中であきらめて付近のファミレスで夕食を摂ったらその間に渋滞解消していた.

釜石市役所近くの建物.奥に見える山道からビデオで津波が押し寄せる映像を何度も見た処.

港近くの除雪機械格納庫も内部には破壊された除雪車がそのままになっている.

高校生が自転車で通り過ぎるのをみてほっとする.

新日鉄の工場は健在.

新日鉄正門前の跨線橋の付近は殆ど津波の影響は見えない.

甲子川にかかる大滝橋を渡って市街に入ると,津波の被害が残り作業が続いている.

理髪店は再開している.

ホテルも一部再開していた.

市役所の裏の山道(避難場所)を登って港を見る.あのビデオが撮られたところに近いはずだ.

釜石グランドホテルの跡.