良かった、気づけて・・・
ずっと自分を否定してるところでした。
先週末、菅原さんご夫婦による「モデルと写真家によるあなたらしい写真の撮られ方セミナー」に参加させていただいたとき、撮られることに慣れるということで、
参加したみんなで、お互いを撮影しあいました。
自分の携帯を相手に預けて。
照れてきゃっきゃ言いながら。
カメラの目を意識して逃げたくなりながら。
1人でそんなにカメラをずっと向けられるってあまりないから、
どう撮られていいのかめちゃくちゃ戸惑いました。
そのとき撮ってもらったたくさんの私の写真。
預けてた携帯を戻してもらって、
最初に見たとき、
がっかりしたんです。
写真に写る自分に。
どっかで、「もっと(実物は)いいはず!」って思ってたんでしょうね~。笑
どれもこれも・・・
「笑顔が美しくない」とか「たるみが目立つ」
とかね。
そこに写る自分を最初は
思いっきり否定してました。
「いや~!見たいくない~!」って
ざわざわしてました。
でもね、その夜、発見したことがあったんです。
良かった、気づけて・・・
だって、自分の写真を否定するって、今存在している「自分自身」のダメなところを否定し続けるってことだって分かったから。
そのときの写真と発見はこちらです。
そして、後日また気付いたことがありました。
セミナー当日、スマホ撮影をしているわたしたちの様子を、講師の菅原さんが撮影してくれていて、その写真を後日、笑美さんが送ってくれたんですけど、
その2枚の写真を見た瞬間、
「あ・・・」
って。
涙がぽろぽろ・・・
「プロの方の写真はやっぱり全然違う~!」とか、
「きゃ!きれいに撮ってもらえてうれし~」とかいう、
喜びももちろんだけど、
なんかね、その写真の中に、
“わたし”という人間が歩んできた軌跡
を見た気がするんです。
いままで出会ったいろんな体験の中で、心が求めてきたものを、私はこの肉体を使ってちゃんと選びとってきたんだな~って。
昔は持ち物を増やして(キャリアや肩書き、自分のお店、稼ぐことや、たくさんの資格など)自分の武器や鎧にしてました。
それらはドラクエの経験値をあげるみたいなこと。
それはとってもわくわくし楽しいことでしたが、
いつのまにか、
「鎧のない、ただのわたし」
を認めてあげることが出来なくなってました。
そこに気付いたときから、わたしは
いったん鎧を手放そうって決めました。
怖かったけど。
そうして数年たって、
この写真の自分に出会ったとき、
「わたしにとって本当に必要なもの」が何なのか、
私はちゃんと気づいてきてる、って・・・この写真をみて思ったんです。
「わたしがわたしらしく生きること」
それは、
外側の持ち物を増やすことではなく、
人の承認を欲しながら生きるのではなく、
わたしが丸腰の自分を承認できること。
外側につけた
○○の先生のわたし、
○○を所有してるわたし、
○○が出来るわたし
ではなく、
ただのわたしを、自分が好きなこと。
そのために、一度はたくさんの鎧や武器が必要だったんだ。
「見せるための鎧」はきっとその時期は必要だったんだろうし。
得る時期と、手放す時期を得て、
いろんな要素で出来てるわたし。
そういうのもぜーんぶひっくるめた、いろんなエッセンスで出来た「わたし」
そんなわたしのストーリーを感じることが出来ました。
そして、スマホで撮ってもらった写真をもう一度見ると、
まだ気持ちはざわざわするけど。笑
そんな自分もひっくるめて、
これからの自分の変化を楽しんでいけたらいいな。
「生きているって、尊くてとても愛すべきことだと思うんです。
そうして生きている自分を、外見で判断しては自分が可哀想だし、もったいないなと」
菅原さんが言ってくれた言葉、
今なら素直にそう思えます。
ずっと自分を否定してるところでした。
先週末、菅原さんご夫婦による「モデルと写真家によるあなたらしい写真の撮られ方セミナー」に参加させていただいたとき、撮られることに慣れるということで、
参加したみんなで、お互いを撮影しあいました。
自分の携帯を相手に預けて。
照れてきゃっきゃ言いながら。
カメラの目を意識して逃げたくなりながら。
1人でそんなにカメラをずっと向けられるってあまりないから、
どう撮られていいのかめちゃくちゃ戸惑いました。
そのとき撮ってもらったたくさんの私の写真。
預けてた携帯を戻してもらって、
最初に見たとき、
がっかりしたんです。
写真に写る自分に。
どっかで、「もっと(実物は)いいはず!」って思ってたんでしょうね~。笑
どれもこれも・・・
「笑顔が美しくない」とか「たるみが目立つ」
とかね。
そこに写る自分を最初は
思いっきり否定してました。
「いや~!見たいくない~!」って
ざわざわしてました。
でもね、その夜、発見したことがあったんです。
良かった、気づけて・・・
だって、自分の写真を否定するって、今存在している「自分自身」のダメなところを否定し続けるってことだって分かったから。
そのときの写真と発見はこちらです。
そして、後日また気付いたことがありました。
セミナー当日、スマホ撮影をしているわたしたちの様子を、講師の菅原さんが撮影してくれていて、その写真を後日、笑美さんが送ってくれたんですけど、
その2枚の写真を見た瞬間、
「あ・・・」
って。
涙がぽろぽろ・・・
「プロの方の写真はやっぱり全然違う~!」とか、
「きゃ!きれいに撮ってもらえてうれし~」とかいう、
喜びももちろんだけど、
なんかね、その写真の中に、
“わたし”という人間が歩んできた軌跡
を見た気がするんです。
いままで出会ったいろんな体験の中で、心が求めてきたものを、私はこの肉体を使ってちゃんと選びとってきたんだな~って。
昔は持ち物を増やして(キャリアや肩書き、自分のお店、稼ぐことや、たくさんの資格など)自分の武器や鎧にしてました。
それらはドラクエの経験値をあげるみたいなこと。
それはとってもわくわくし楽しいことでしたが、
いつのまにか、
「鎧のない、ただのわたし」
を認めてあげることが出来なくなってました。
そこに気付いたときから、わたしは
いったん鎧を手放そうって決めました。
怖かったけど。
そうして数年たって、
この写真の自分に出会ったとき、
「わたしにとって本当に必要なもの」が何なのか、
私はちゃんと気づいてきてる、って・・・この写真をみて思ったんです。
「わたしがわたしらしく生きること」
それは、
外側の持ち物を増やすことではなく、
人の承認を欲しながら生きるのではなく、
わたしが丸腰の自分を承認できること。
外側につけた
○○の先生のわたし、
○○を所有してるわたし、
○○が出来るわたし
ではなく、
ただのわたしを、自分が好きなこと。
そのために、一度はたくさんの鎧や武器が必要だったんだ。
「見せるための鎧」はきっとその時期は必要だったんだろうし。
得る時期と、手放す時期を得て、
いろんな要素で出来てるわたし。
そういうのもぜーんぶひっくるめた、いろんなエッセンスで出来た「わたし」
そんなわたしのストーリーを感じることが出来ました。
そして、スマホで撮ってもらった写真をもう一度見ると、
まだ気持ちはざわざわするけど。笑
そんな自分もひっくるめて、
これからの自分の変化を楽しんでいけたらいいな。
「生きているって、尊くてとても愛すべきことだと思うんです。
そうして生きている自分を、外見で判断しては自分が可哀想だし、もったいないなと」
菅原さんが言ってくれた言葉、
今なら素直にそう思えます。