「あの子の子ども」「海のはじまり」 (続き)

 

「あの子の子ども」は最終回まで見終えた。

高校生2人の決断には、首をひねるところがあったし、

ドラマとしてはやむを得ないとは思うものの、美談のような終わり方に、

世の中、理解者ばかりではないだろう、と感じるところもあったが、

各話の最後のインタビューのような映像の意味が、最後にピタッとはまって、良かった。

 

「海のはじまり」の目黒連の先輩と、「あの子の子ども」の生活指導の先生。

どちらも、少し厳しい感じもあるが、ぶれずに、感情的になりすぎず、

正しいこと(当人たちにとっても、聞く価値があるようなこと)をいう感じも、また、良かった。

 

「海のはじまり」は、次が最終回だが、どう終わるのだろうか。

上手くストーリーをつくる脚本家だとおもっているので、楽しみ、、、

 

予告にもちらっと写っているが、「コロッケ」をどう使うのかな、、、

第1話で、

弥生(有村架純)は、スーパーで買ってきた「コロッケ」と野菜炒めを、夏(目黒蓮)と食べ、

#働く女性の日常(それほど贅沢もせず、食事は簡単に、、、)

 

第何話か覚えていないが、

水季(古川琴音)は、値引される時間を狙って、スーパーで「コロッケ」を買い、

#シングルマザーの日常(定価で買うような金銭的な余裕も、手作りするような時間的な余裕もない)

津野(池松壮亮)は、部屋で一人、夕食(?)としてスーパーで買ってきたであろう「コロッケ」を食べ、

#一人暮らしの男性の日常(買ってきた総菜を皿に移さずそのまま)

有村架純は、手作りのコロッケを、目黒連と、海(泉谷聖奈)にふるまい、

#こうあったらよいだろうなと思う家族の光景(お母さんが作った料理を子供が喜んで食べる)

 

最終回の予告では、有村架純が、コロッケを食べている。

ここに、何か、意味があるはず、、、

なんて思うが、最終回を見出したら気にしないかもしれない、、、

 

あと、第1話の出だし。

目黒蓮が、分かれ道の一方を歩き始め、

途中で引き返し他方を歩いていくというシーンがあったが、これにも意味があるのでは、と思っている。

 

最初に選んだ道は、夏と海を思わせるというか勝手に私がそう思っている、お父さんと娘が歩いていて、

その道を引き返して、誰も歩いていない方の道を進んでいく。

 

さらに、有村架純が、職場の後輩(?)との会話で、

後輩(?)「数増やさせて結局あの3つのどれかになったらどうするんですか?」

有村架純「たくさん試した中で一番いいものが選べるならいいことでしょ?」

というのがあった。

 

水季の実家で、祖父母と海とで暮らす

水季の実家で、祖父母と夏と海とで暮らす

夏(目黒蓮)の家で、夏と海とで暮らす

夏の家かどこかで、夏と弥生(有村架純)と、海とで暮らす

 

いろいろなシチュエーションを提示して、最後には、

 水季の実家で、祖父母と海とで暮らす

となるのでは、と思っているがどうだろうか。

 
目黒蓮と有村架純の関係はどうなるか?
目黒蓮にとってみれば、娘か彼女かの二択だったように思うので、
娘と暮らす道を諦めて、彼女と暮らす道を選ぶのもありな気がするが。
 
そう思って第1話をみると、
有村架純が、夏休みの行先として、海と山の二択を提示する場面もある。
有村架純が演じる百瀬弥生から直接「山」を思いはしないが、
海(娘)を選ぶかどうかにつながる場面のような気がする。
さらに、有村架純が、「山」を表現するのに、手で三角形を作る。
これも、(夏(目黒蓮)、弥生(有村架純)、水季(古川琴音)OR海(泉谷聖奈)の三角関係
を暗示しているような気もしてくるし、、、