被災地のみなさま




東北地方太平洋沖地震において心よりお見舞い申し上げます。






私は、東京在住なので今回の大地震の影響はそれほど大きくありません。




ニュースでも報じられているとおり、通勤などで大変な思いをされてる方は数多くいますが、東北地方の方々に比べたら、大きな苦労はないと思います。




今、私の勤務先でも、ご家族の安否が未だ取れないものもいます。




救援物資が行き届かない地域も多数あります。




そんな中出産した方もいますし、衣食住をほぼ失った人もいます。病気による死者も出ています。




ここ最近、どこのコンビニ・薬局・スーパー、それぞれ回っても、ティッシュや非常食等大半がほぼ品切れ状態。




理由は、一般消費者の買占めによるもの・・・。




ここ東京ですよね??




買占めが全ての原因ではないと思うけど、やはり被災地への救援物資不足の事態に少しでも加担しているのであれば、もっと多くの人が冷静になって、買占めなんかはやめようよ・・・。って思う。




品薄状態が続けば、自ずと物価は上がるばかりだし、自分たちで自分たちの首絞めてるよね。。。




買占めをやめよう。ということは難しいことではないと思います。




焦りすぎず、自分たちだけ助かれば・・・みたいな考えはやめて、冷静になってほしいものです。

お前のことなんかより


仕事が大事に決まってるだろ


電話かけてくるな


電源切るから


さようなら


図々しい




これが誕生日を迎える瞬間に言われた言葉・・・。



日本がこんな状態の時によくも自分のことばかり考えられるな?!って・・・。



言ってることはわかるけど、せめて誕生日の時くらい、笑って過ごしたかった。



そんな気持ちなんて理解してもらえない。



彼と一緒にいると、大切だと思いたい時も悲しみと苦しみしか残らない。



一言も悪びれず、ただただ日が過ぎていくばかり。



お互い、なぜ一緒にいるんだろう。。



19日は、お互いにとって大切な記念日のはずだけど・・・。



考えてもしょうがない。諦めよう・・・。



この苦しみと悲しみを、いつか乗り越えられますように・・・。

2月23日

大好きだった祖母が他界した。


祖母には、私が1歳まで、弟が1歳半まで育ててもらった。


弟が産まれたのは、私が小学校2年生の時。


そこから1年半一緒に暮らしていた。


祖母にはたくさん反抗して、すごく困らせたと思う。


祖母が帰る日、空港で荷物を持って寂しい気持ちでいっぱいだったのを覚えてる。


とても素敵な笑顔だったことも覚えてる。。


たくさんのいい思い出しか残っていない。


3年前はあんなに元気だったのに。。。


とうとう息子を会わせることができなかった。


他界した祖母を見ていても、ただ眠っているようでもう会えないという事実が信じられなかった。


でも、顔を触るととても冷たい。。


おばあちゃん、笑っているようだった。


皆で、棺桶に巻く帯にメッセージを書き残した。


祖父のメッセージは


「少し早すぎる。約束を忘れるな!」


そんな言葉だった。


祖母と祖父の間には、愛人がいて、愛人との間にも子供がいる。


一時、別居をして祖父は愛人宅でズタボロにされた。


最後の最後には、祖父は祖母のもとへ帰ってきた。


一緒に暮らして3ヶ月しか経過していなかった。


祖父も、頚椎の病気を患い、祖母にはもう迷惑をかけまいと手術を決意した翌日、祖母は風邪を拗らせ入院。


わずか一週間で、他界してしまった。


夫婦で再出発して、これからというときに・・・。


祖母は、もしかして安心したのか。。


おじいちゃんには、やっぱりおばあちゃんしかいないという事実を実感できたのではないかな。。


愛人の子供を認知したり、信じたくない事実を目の当たりにして、すごくすごく苦しかったと思う。


でも最後には、おじいちゃんにはおばあちゃんしかいなかった。


女として最高な結末だよね。



とても陽気で明るくて、笑顔が素敵なおばあちゃん。


どうか天国でも、素敵な笑顔でいてくれますように。

あと30分もしない間に、大切な記念日は終わってしまう。


ただでさえ家族旅行ってだけで、気分が落ちるのに、なにも記念日に計画しなくてもいいじゃない…。


去年は、沖縄の家族旅行で、今年はグアム。


彼といれば、嫌でも家族との違いを思い知らされ、胸が苦しくなる。


この先も、同じ思いをするのは限界です。


彼の家庭の事情でふりわまされるのは、もうこれで最後にしたい。

先週の金曜日から、彼は家族旅行に行きました。


グアムだそうです・・・。


楽しんできてね~!っと心から思えない。。


思うことは、自分には彼との旅行なんて考えられないし、ましてや海外なんてもってのほか。


家族だから、何も咎められず、素敵な思い出づくりができるんだよね・・。


5日間の夏休みだって、私との時間なんてまったくないし。。


たった一日だけでも欲しかったよ・・・。ネガティブな発想しかできない。


この先も、彼といればいるほど、家族との違いを思い知り、傷つくだけなんだな・・・。


そんなやるせない気持ちを少しでも忘れたくて、昨日は地元の友達と朝を迎えました。。


そのときは、少しだけさびしい気持ちを埋められました。


ありがとう。我が友達!!


でも、彼を完全に消し去ることができないみたいです・・・。


いつか、他に目をむけれるかな・・。消すことできるかな・・・・。

最後のメールだから、一生懸命自分の本当の気持ちを文字にした。

メールの最後に、「連絡がなかったら、本当にこれを最後にします」と入れた。


意を決して送信。。連絡は来ないとしか思っていなかった。


友達の言葉で、苦しかった気持ちが吹き飛び、御礼を言いながら、涙ながらに友達と話をしていた。


ふと携帯を見てみると、彼からの着信が。


絶対に連絡はこないと思っていたから、一瞬頭が真っ白になって携帯を呆然と見ていた。。


彼からの着信は止み、再度かかってきた。


それでも携帯ばかり眺めている私に友達が、


「何してんの?!早くでな!また切れちゃうよ!」


我に返った私は、外へ出て彼からの電話に出る。


彼と連絡を取らなかったのは、たった1日半ぐらいだったかもしれない。。


それでも私の中では、何週間も長いように感じていた。


思いの丈を彼に打ち明けた。


今どこにいるの?と聞いてみると、私の家に来てくれていた。


電話が終わり、友達のもとへ戻ると、友達は、


「よかったね。って心から言っていいのかわからないけど、苦しんでる○○を見てるよりは、まだいいのかな。。彼、家に来てるんでしょ?とにかく今日は早く戻りな!!」


っと言ってくれた。


友達の言葉に甘え、家路についた。




前にも後にも、これが、彼との関係で本当に別れを意識した瞬間だった。







彼も私も、お互い連絡をせず、朝を迎えた。


あんなことがあったにも関わらず、心のどこかで彼の連絡をずっと待っていた。連絡がなくても、もしかしたら家に来てくれるかもしれない・・・と、まだ懲りずに淡い期待を抱いていた。


彼が乗る電車の最終時間をずっと気にしていた。


夜中の1時になっても、連絡がなく、来ることもなかった事にやっと、やっぱりな・・・。って実感した。


一人布団に入るも、ぜんぜん寝付けなくて、翌朝8時頃目が覚めた。


携帯を確認するも、案の定連絡なんてなかった。。


昼が過ぎて、どうしても気になってしまい、自分から彼の携帯へ連絡をするが、彼は出なかった。

メールで、一言「連絡が欲しい」と入れた。


2時間経っても、なんの音沙汰もなく、もしかしたら商談か会議なのかな・・・。なんて考えていた。


もう一回だけ電話してみよう・・と思い、電話するもやっぱり彼は出ない。


最低だけど、会社に、仕事のふりを装って電話をしてみた。


彼は、何度か事務所に連絡をしていたみたいだった。


その事実を知って、「あたし無視されているんだ・・」って実感した。


一人家にいても、苦しくて頭おかしくなりそうで、相談がある・・・と言って、友達2人と会う約束をした。


私の不倫関係は、その時まで周りの誰にも言えないことだったけど、その時はじめて友達に打ち明けた。


友達は、私の体の傷を見るなり一瞬無言になり、驚きを隠せないようだった。


もちろん、友達の言葉は聞くまでもなく分かりきっていた。


でも以外だったのは、


「当たり前のことだけど、別れられるなら別れるほうがいいに決まってる。でも、別れることによって後悔するのであれば、今、最後に一回だけメールしてみたら?それでも、なんの連絡もなければ、それまでの関係だったと見切りつけれるんじゃない?」


友達の言葉が、私の気持ちを色んな意味で後押ししてくれた。


本当にこれで最後・・・って心から思うことができた。




忘れもしない一昨年の夏、全身打撲になるほど、過剰な暴力を振るわれた。


蹴る、殴る、叩きつける…。


あの悪夢のような光景は今でも鮮明に覚えてる。


息が出来なくなりそうなほど、背中を何十回と蹴られて、右腕も何十回と思い切り殴られ、それは力一杯だったから、鈍器がぶつかってきてるような衝撃だった。


家を出ていく彼を追い掛ければ突き飛ばされ、着衣は泥だらけで穴が空き、ボロボロだった。


ただ一つ、記憶にないことは、壮絶な暴力がいつ止んで、その時に彼がどこにいたのかが、全く思い出せない。


次に思い出せるのが、翌日、服を脱いで鏡の前に立っている姿。


殴られた右腕は、肩から肘にかけて、ほぼ痣だらけになっていて、左腕の倍近く腫れ上がっていた。


自分の体じゃない気がして、あまりの酷さにただ立ちすくんだ。


顔もむくみ、背中から太股まで痛みが伴う。


今度は、後ろ姿を見た。


背中から太股までもが痣だらけ…。


体を洗うときに、痛みが酷くて、大変だった。


布団に横になるも、背中からお尻の痛みが尋常じゃなくて、まともに睡眠も取れなかった。


もう一つ、記憶にあるのは、悪夢のようなあの翌日、私は本社に用事があり、午前中だけ出勤した。


私から彼に、一切連絡することはなく、また彼も同様に私に一切連絡をしてくることはなかった。


その日の夜は、体の痛みと虚無感を抱いて、一人布団の中でずっと泣いていた。


その翌日、今度は精神的苦痛と、ハジメテの別れを意識するとは思いもせずに…。