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2月26日

   話はさかのぼるが、今月7日の夜、夫が骨折し翌日に近くの病院で手術をした。 転倒したのは自宅のリビングで、ほんの少しお酒を飲んでいたのでふらついたのか? 病名は「左上腕骨 骨幹部骨折」で一本の骨が3箇所折れていた。 目じりの上から出血し、殆ど動けない状態だった。 救急車を呼ぶか判断に迷い、本人とも相談し明日の朝まで我慢すると言ったので、結局呼ばなかった。 夜中も激しい痛みで唸っていたが、痛み止めの薬で夜を明かした。

 翌日、整形外科医に行き、医師は「頭を打っている時は、救急車を呼ぶように」と言われた。 また部屋で骨折したのは「高齢になると骨が脆くなっている」と驚いていた。 

 この怪我から先、旅行の計画が2か所入っていた。 兄との「ハーベスト・鬼怒川」と3Fの「沖縄・小浜島」だ。

 

 その一つの4日間の沖縄旅行から26日帰って来た。 23日の天皇誕生日から飛び石連休であった。 「3F会」とネーミングした3家族の夫婦6人の旅行だ。 そのうち勤めている人が3人で、休暇が1日しか取れず、旅行代金も高い日程になった。

 

この「3F会」は、それぞれの子供達が通う「くるみ保育園」0歳児からのお付き合いで、今年42年になる。 その間にテニス、マラソン、旅行等々、ともに行動して来た。

 19年前にはハワイ島、10年前はローマ、そして今回の沖縄旅行が最後の旅行だ。 高齢化が進み、我が夫婦が長老で一緒に行動できなくなってきている。

 

 骨折と手術、夫が医師に沖縄の旅行に行けるか聞くと『三角巾はしていくが大丈夫です』と言われた。 退院までの10日程、筋肉が落ちないようにリハビリに励んだ。 肩から突った左腕が痛み辛そうだったが。 最後の旅行ということもあり、現地で4人とは別行動でも行くだけ行くことにした。 4人は「西表島と由布島」と「石垣島」のツアーに参加した。 我が夫婦はホテルに滞在して、私は敷地内の散策ぐらいでのんびり過ごした。 

 夫はリハビリに励んだが、筋力が低下し前より歩行が難しくなっていた。 沖縄でまた転倒しては困るので私は介護役に徹し、何とか無事に帰って来た。 

 

 ホテルは、離島・小浜島の「はいむるぶし」で、敷地は東京ドーム8個分の広さ。ゆったりしハワイを思わせる感じだ。 ただお天気は曇りで、沖縄の独特の海の色の鮮やかなブルーは見られなかった。 もう一つ一番残念なのは「南十字星」が見られなっかた事だ。 ホテルの名前も沖縄の言葉で「南十字星」だと教わった。

 

 南十字星は英語で「サザンクロス」と呼ばれ、マレーシアの高原「キャメロンハイランド」でロングステイした頃、毎夜見ていた。 かの地は、空気が綺麗で、明け方くっきりと瞬き、飽きずに眺めていた。

 

 終戦前、私の父(38歳没)が南ボルネオ「バリクパパン」の捕虜収容所から、母や友人に送ったハガキに「南十字星」を毎夜見ている書かれていた。 きっと東京に残してきた妻と幼い子供2人(兄と私)を想い、見つめていただろうと想像する。

 顔も知らない父だが、私がマレーシアで「南十字星」を見る時、父が昔見ていた星かと想い眺めていた。父との唯一の接点だ・・・

 

 夫の怪我が全快し、足を鍛えて国内旅行に行こうと考えている。 まだまだ楽しみを見つけ、引退なんかしないと思っている。

           兄がくれた,文旦とタンカン

 

 

 

 

 

 2月6日

 前日から降った雪が8センチ程積もった。 天気予報で積雪の予報だったので、散歩にも行けないので、久しぶりに朝寝坊をした。 起きてみるとかなり積り、階下の奥さんが一人で雪かきをしていた。 お茶を一杯のみ、慌てて私達も2人で雪かきに加わった。 雪は湿って重たく、シャベルですくうも力がいる、雪国の人の大変さを実感した。

 それにしても、平日で若い現役の人は仕事があり、雪かきできるのは高齢者だけだ。 私達も何年か先は雪かきも出来なくなるだろう。 前の高等学校は、先生と生徒であっという間に綺麗に雪搔き完了。 若さと行動力が羨ましい!

 

 最近日本の「話芸」に興味を持ち、「落語」、「講談」、と機会があれば覗いてみている。

年末には、「お江戸・広小路亭」で「神田伯山」の講談を聴いた。 一番切符の取れない講談師と言われているが、短い時間ではあったが身近で聴き、人気を実感した。 声も張りがあり、聞きやすく話に引き込まれる。

伯山の書いた「講談放浪記」を読み、是非講談を聴きたくなり、夫と兄を誘い席亭に行った。 講談というと取っ付きにくいイメージだが,ほろりとさせられる場面もあり面白い。 「伯山」の独演会は切符をとるのが難しが、暫くは短時間で我慢して通ってみる。

 

 お面白い本、立川志らくが書いた「師匠」を読み終えた。 師匠とは、立川談志(2011年75歳で没)の事で、志らくが談志一門に入り、談志が亡くなるまでの29年が書かれていた。 談志と言えば、落語家、政治家(35日間)であるが、毒舌家で嫌われ者と言われた。 但し古典落語などでは天才と謳われ、志らくも初めは嫌いだったようだ。

 修行の身でこき使われ、師匠の言ったことは絶対で、咄嗟に行動しなければならない。読んでいても大変さが感じられるが、自然と談志の名人芸を肌で感じ「天才落語家」とともに歩む。 練馬にある「談志ミュージアム」の一角が志らくの自宅で管理を任されているようだ。 近いので談志がめでた桜の咲くころ、訪れてみたい。

 

 話芸ではないが紙から万物を切り出す「林家正楽」さんは、「紙切り芸」の色物芸人。惜しくも1月に亡くなられた。 私は以前「新宿末広亭」で「恵比須様」を切ってもらった。 あのお馴染みの釣竿を肩にかけ、大きな鯛をもっている姿。 紙切りは、スイングし、ゆらり、カーブを付けて5分程で完成。嬉しくて大事にとってある。 『なんでも切りますよ』と言って客席から注文を取って切ってくれる。

 ある時「おじや!」の注文に、母親らしき人が椀を持ち、子供によそっている姿を切ったそうだ。 咄嗟にアイデアが浮かぶ、流石に名人!

何と優しく温かな視線とユーモアがあったと、師匠を悼む記事に書かれていた。 坊主頭の着物姿から同じ年ぐらいに思っていたが76歳とお若かった。残念だ! もう少し寄席に通い、得るものが多々ある。 寄席の雰囲気は特別だ、気楽に通い、帰りには「吉池食堂」に寄ってみたい。 

                          切って貰った「恵比須様」

 

 

1月25日

 4日間の長崎旅行から帰ってきた。 昨年プロ野球の「阪神タイガース」が優勝し、その「感謝ツアー」という触れ込みの個人包括旅行。

 感謝のサンキューの意味で、代金は39000円に+空港使用料と超安値。 旅行の内容は、ホテル3泊と往復の飛行機が付いての4日間。 宿泊のホテルは、以前九州のツアーで泊まった長崎の「ルークプラザホテル」だ。

 

 ホテルは稲佐山の中腹にあり長崎湾が一望できる。 稲佐山山頂からは、「日本三大夜景」の一つに数えられる素晴らしい夜景が観られる。 この中腹に建つホテルでも、7階の部屋から毎夜その夜景が独占でき大満足。

 難点は、一つ大浴場が無い事だ。 部屋には、ゆったり入れる大きな浴室があるが。

 

 旅行は大寒のこの時期、予想以上に寒く、大寒波襲来と重なり思いがけず雪が降った。 歌の文句のように『長崎は今日も雨だった』ならまだ善いが、滞在中に行動する2日間とも荒れ模様だった。 3日目には雪が3センチも積もった。

 

 折角来たので、路面電車に乗り、思案橋や新地中華街のアーケード街を歩いた。 足元が悪いので二人で手を繋ぎそぞろ歩きだ。 見た目には仲の良い老夫婦に見えただろうが、転ばないように必死だった。 それでも是非とも食べたいとチェックした名物の「桃太郎の豚まん」、「長崎角煮まんじゅう」を聞きながら探した。 道行く人は誰もがとても親切に接して教えてくれた。 テイクアウトして、部屋で大相撲を見ながらビールと焼酎と共に頂く。

 

 翌日は、話に聞いていた「♪ナガサキ ピース ミュージアム♪」を尋ねた。 歌手のさだまさしさんが21年前に建てた、小さいながら立派なミュージアム。 平和を願い「戦争放棄」を呼び掛ける拠点として「NPOナガサキピーススフィア貝の火運動」の活動を行っている。 長崎から世界へ平和を発信し、戦争を無くそうと呼びかける。多くの方々からの募金活動で建設されたようだ。 確かに世界では戦争が広がり、特に女性や子供達が不幸に曝されている。

ここで、ドキュメンタリー映画やトークイベントがあり、子供たちに平和な地球を手渡そうと呼びかけている。

 

 展示品のウクライナの子供たちの絵は個性的で胸に迫るものがあった。 またボランティアの方の手作りの品等もあり、私はバザーで寄せられた、コーヒーカップとお茶碗を購入した。

 

 天候が回復すれば「浦上天主堂」や「原爆落下中心地碑」を尋ねる予定でいたが、今回は残念だが諦めた。 人生の残り時間も少なく、再訪は難しいかも? でも、今年また「タイガース」が優勝してサンキュー旅行を期待している。

 

 空港行のリムジンバスに乗る前に、長崎駅のレストラン街で「長崎ちゃんぽん」と「皿うどん」を夫がご馳走してくれた。 さだまさしのフアンとして、彼の故郷が「長崎」であり、この地はとても親しみやすい気がする。

 この地の方言に「まっとったばい」(待っていたよ)がある。 何時でも「まっとったばい」と温かく迎えてくれる・・・!長崎はそんな地だった。

                                                      

 ミュージアムで頂いた小さなアクセサリー。戦争放棄を意味する「せんそうほうき」。

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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