前回の記事
『2017年④ 揺れる性自認(ジェンダーフルイド)』
では
身体の女性化に呼応するように
わたしの内なる性自認もまた流動的に
そして深く女性へと傾いていったお話をいたしました
ジェンダーフルイドのような揺らぎを経て
本当の「わたし」へと統合されていくプロセスは
今振り返っても本当に愛おしい旅路です
身体の変化とともに歩んだ
「揺らぎと進化の軌跡」の中で
わたしは女性としての人生を自分らしく
エレガントに謳歌する心地よさを手に入れました
しかし
その幸福な日々の裏側で
わたしの知的好奇心と内省の旅は
もう一歩先へと続いていたのです
今回はその続編として
わたしが自身のセクシュアリティの定義を巡って
さらに深く向き合い
専門の医師による診察を経てたどり着いた
「真の現在地」について
お話ししたいと思います
身体と心が美しく調和していく中で
わたしはふと
世の中に存在するさまざまな
「性のあり方を表す言葉」
に目を向けるようになりました
自分のこの愛おしい変化を
医学や心理学の視点ではどう説明するのだろう
という純粋な興味からです
その中で出会ったのが
「オートガイネフィリア(自己女性化愛好症)」や
「性同一性障害(GID)」
という言葉でした
インターネットや書籍を開くと
そこにはさまざまな定義が書かれています
例えばオートガイネフィリア(AG)は
女性になった自分自身にときめきや興奮を覚える
いわば「足し算のワクワク感」が
原動力になる性質だと言われています
そのなかには行為が終わって
「賢者モード」に入ると
女性になりたいエネルギーが
一時的に消えてしまう人もいる
という解説もありました
一方で
従来の性同一性障害(GID)は
「男性の身体で生きることが地獄のように苦しい」
という
幼少期からの「引き算の苦悩」が
ベースにあるとされています
これらの言葉に出会ったとき
わたしは自分の心に手を当てて
じっくりと問いかけてみました
「わたしは、このどちらかの枠組みに当てはまるのだろうか?」
答えは、どちらも「NO」でした。
たしかに最初は下着女装から始まり
レディース服を纏うことに
深い喜びを感じていましたが
それは性的な興奮やときめきを
目的としたものではありません
彼女と接するときには
男性として自然にリードすることもできていました
また
性同一性障害のような
幼少期からの激しい身体への嫌悪感や
男性として生きることへの決定的な拒絶が
スタート地点だったわけでもありません
どちらの典型的な型にも
わたしのリアルな地続きの経験は
当てはまりません
そこで
言葉の枠組みに
自分を無理に当てはめる必要はないと
わかっていつつも
わたしは
「自分のこの揺らぎの正体を
医師にしっかりと見極めてもらいたい」
と思うようになりました
これまでの人生
男性としてのキャリアを重ねていた頃に抱えていた
澱のような違和感
独身生活を選んでいた背景
そして
身体を女性化していくプロセスの中で
心がダイナミックに女性へと変化していったこと
そのすべてを医師に包み隠さず打ち明けました
わたしの話を丁寧に聞き終えた医師は
穏やかに
しかし明確な答えを響かせてくれたのです
「あなたは性同一性障害でもなければ
オートガイネフィリアでもありません
あなたの状態は
とても自然な『性別違和』です」
その言葉を聞いた瞬間
胸の奥にあった最後の小さな消しゴムが
きれいに消えていくような感覚を覚えました
医学の世界でも
現在は「障害」という言葉を使わず
より広いグラデーションを包括する
「性別違和(現在では性別不合)」
という言葉が使われています
医師の診察によって
わたしは自分が歩んできた
「身体の変化に伴って
性自認が変化していったプロセス」
そのものが
医学的にも何一つ矛盾のない
立派な性別違和のあり方なのだと
認めてもらえた気がしたのです
前回の記事で
わたしは性自認を
「流れる水のように形を変えていくもの」
と表現しました
当時のの医師の診察を経て
その思いはさらに強固なものとなりました
世間には
「昔から男の身体を激しく嫌っていなければ
本物のトランスジェンダーではない」
「最初は趣味のような感覚から始まったのなら
それはただの嗜好だ」
といった
白黒はっきりつけたがる固定観念が
まだ根強く残っています
でも
人間の心やアイデンティティは
そんなに単純な二択で
切り離せるものではありません
