海外出張したときのハプニングです

入国審査(イミグレーション)は
多くの人にとっては
ただの通過点に過ぎないかもしれません

しかし
わたしにとっては
毎回心臓がすくむような緊張感を強いられる
関所でした

見た目はどこからどう見ても大人の女性でしたが
パスポートに記された戸籍上の性別は
「男性」でした

女性ホルモンを摂取し
女性として社会生活を送るようになってから
この「見た目と書類のギャップ」が
海外出張のたびに大きな壁となって
わたしの前に立ちはだかります

今回は
ある海外出張の入国審査で
実際に直面した困惑と緊張
そしてそこから見えてきた
トランスジェンダーの移動における現実についてです

その日は
重要なビジネスミーティングのために
東南アジアのある都市に着きました

入国審査でわたしの番が来ます

いつも通り努めて冷静に
パスポートを入国審査官に手渡しました

審査官は若い男性でした

彼はまず
わたしの顔を見ます

次にパスポートの写真と
そこに印字された「M(Male)」の文字を見ました

そして
あからさまに動きが止まりました

彼の視線が
パスポートの文字とわたしの顔の間を
何度も往復します

いわゆる「二度見」
いえ…
「三度見」です

彼の頭の中で
目の前にいる女性と
手元にある「男性」という記号が結びつかないのは
表情を見てすぐに分かりました

「これは本当にあなたのパスポートですか?」

英語で発せられたその声は
周囲の喧騒にかき消されそうなほど静かでしたが
わたしにとっては鋭く耳に突き刺さりました

後ろには次の乗客が並んでいます

奇異の目で見られたくない
怪しい人物だと思われたくない

背中に冷たい汗が流れるのを感じました

「はい
間違いなくわたしのものです
医療的な理由(女性ホルモンの摂取)で
外見が変わっていますが
本人です」

わたしはあらかじめ用意していた英語のフレーズを
できるだけ落ち着いたトーンで
しかし明確に伝えました

パスポートの写真自体は
比較的最近のものに変更していたため
骨格や目元の面影はあるはずです

しかし
性別欄の「M」という一文字が
審査官のシステム的な「アラート」を
鳴らしてしまったようでした

審査官は納得がいかない表情のまま
無線で上司を呼びました

「ちょっと確認が必要だから
あちらのオフィスで待つように」

いわゆる「別室送り」とまではいかないものの
カウンターの裏手にある確認スペースへと
誘導されてしまいました

この日は移動日でしたので現地駐在員たちと
会食するだけでしたが
何より
「犯罪者や不法入国者のように扱われている」
という精神的なストレスは計り知れません

数分後にベテランらしき女性審査官が現れ
再び同じ説明を繰り返します

彼女はわたしの荷物や
eチケットなどを念入りにチェックしました

「見た目がこれほど美しい女性なのに
なぜ書類を変えないのか?」

彼女の質問は
純粋な疑問のようでもあり
警戒のようでもありました

日本の法律において
戸籍上の性別を変更するためには
現行法ではまだ非常に高いハードル
(手術要件など)が存在すること
そして現在は移行のプロセスにあることなどを
限られた時間と英語力で
説明するのは至難の業です

最終的には
ビジネスの目的が明確であることと
複数のクレジットカードの名前との一致が
確認できたため
無事に入国スタンプが押されました

「ようこそ〜」

と言ってパスポートを返されたときには
すでに一仕事を終えたかのような
疲労感に包まれていました

こうした経験は
わたしに限ったことではありません

世界中で
多くのトランスジェンダーが
空港のセキュリティやイミグレーションで
不当な足止めや
プライバシーの侵害に直面しています

近年
一部の国や航空会社では
パスポートや航空券の性別欄に
「X(ノンバイナリー/指定なし)」
を選択できるようになるなど
多様性を認める動きが進んでいます

しかし
国際的な基準や
受け入れ国側の認識が
追いついているとは言い難いのが現状です

特に海外出張というビジネスの文脈においては
この問題はさらに複雑になります

「現地でスムーズに仕事を開始しなければならない」
「会社の代表として隙のない姿でいたい」

そう願う一方で
入国審査という国家権力の最前線では
個人の尊厳が簡単に揺るがされてしまうのです

もし
見た目が完全に女性であるにもかかわらず
名前や性別が男性のままであることで
「偽造パスポートではないか」
「不法な身分詐称ではないか」
と疑われれば
最悪の場合は入国拒否や
強制送還というリスクさえ孕んでいます

それはビジネスにおいて
決定的なダメージとなり得ます

この件を経て
わたしは海外へ渡る際のいくつかの
「自衛策」を講じるようになりました

1 医師の診断書の携帯: 
女性ホルモン治療を行っている旨
それにより外見に変化が生じている旨を
英語で記載した医師の証明書を携行しました

2 客観的な身分証明の複数所持: 
英文の在職証明書や
クレジットカード
ビジネス用の名刺など
自分の社会的アイデンティティを証明できるものを
一元化しました

3 常に毅然とした態度を保つ: 
疾しいことは何一つないのだから
おどおどせず
プロフェッショナルとしての態度で
堂々と対応しました

しかし
これらはあくまで
「個人ができる地道な対策」
に過ぎません

本質的には
一人ひとりの生き方や身体のあり方が
古い書類の枠組みによってジャッジされ
移動の自由が制限されるような
社会のシステム自体が
変わっていく必要があります

見た目が女性であるわたしが
戸籍上は男性として生きること

それは
現代の過渡期にある社会において
時にこうした摩擦を生み出します

空港を出て現地の喧騒に足を踏み入れたとき
わたしは深く息を吸い込みました
入国審査での緊張感は
わたしに
「自分が何者であるか」
を強く意識させる瞬間でした

このハプニングにより
性別適合手術を急ぐことになりました