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続・エビで龍を釣る

旧ブログの続編です。あることないこと言いっぱなしですが、まじりっけなしに真剣です。
とっちらかった日々のあれこれをなけなしの言葉にして綴りたい。法螺や水増しや誇張も含めて等身大。
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本レビューのランキングが100位内に入った。深謝いたします。

 

ランキングに振り回されるのは詰まらないですが、素直にうれしいですね。

 

 

それで、マンガです。

 

近頃買ってるマンガはというと。

 

阿吽(宗教)

 

はじめアルゴリズム(数学)

 

そしてこのブルーピリオド(芸術)の三つなんですよ。

 

それぞれ「宗教」 「数学」 「芸術」がテーマです。

 

人生を狂わせてしまうものとしてはかなり上位に来るリストなんじゃないでしょうか。

 

しかし、これらは「飲む・打つ・買う」と違って依存症から脱却するための自助グループがあるわけでもない。←たぶん

 

でも、やっぱこの危険な香りが楽しいんですよね。

 

 

『プルーピリオド』は山口つばささんが描いており、そもそもアートとは美術とは芸術とは何か???

 

ということが全面的に問われています。

 

さしあたって、アートとは、技術の巧拙ではない。芸術家は職人ではないのだから。

 

とはいえ、何かしらの序列は存在する。

 

卑近な例でいえば、コンテストで賞を与えるため、美大で合格者を選ぶため、序列は定めなければならない。

 

でもそれだけがアートじゃない!!!!

 

原始人の描いた洞窟画が、幼い子供の落書きが、とんでもないインパクトが持つこともある。

 

じゃ? 何? アートって? なんなのさ!!!!! (←ほとばしる絶叫)

 

こんな堂々巡りのもやもやと楽しさがこの漫画には溢れています。

 

じっさい答えはありません。

 

技術を否定し、感性も否定し、個性さえも取っ払っても。。。

 

それでも

 

何かアートとしか呼べない何かとてつもないものがこの世界にはある。

 

ふーむ。

 

要領よく高校生活を送っていた主人公は、よくわからないままアートに魅せられ、美大受験に挑みます。

 

この「よくわからないまま」というのがいいですね。

 

お仕着せに言葉にしてしまうと死んでしまう何かがあるからです。

 

アートの原液ってそれなんじゃないでしょうか。

 

この漫画は正統な青春物語であり、暗中模索するすべての芸術家のためのガイドブックです。

 

僕は「わたしは芸術家じゃない」と否定しない限りすべての人間が芸術家だと思ってますので、つまりこれは全人類のために描かれた漫画といってもいいでしょう、

 

続きが楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

『記憶の書』『緑のヴェール』と続く三部作の劈頭を飾る本作は、主人公クレイの長い遍歴の出発点。

 

結論から言ってしまうと、僕が考えるファンタジーの条件であり最大の魅力でもある、、

 

「本を読み終えても物語はどこかで続いている」感じがふんだんにあります。

 

作者ジェフリー・フォードが構築した世界は、奇妙な入れ子構造になっていて作中の独裁者ビロウが己の記憶から作り出した都市のことでもある。

 

この二重構造は多重夢に似ている。

 

余談ですが、僕は夢から醒めてもまた夢だったという夢を見たことがあるだけでなく、5回醒めても夢だったという六重夢を見たことがあります笑

 

恐ろしかった。

 

この物語で面白いのは、主人公クレイが多重の夢のような世界のうちで悔恨に苛まれつつ赦しを夢見て彷徨うところ。

 

誰かの赦しか。それは観相官という職業のクレイが、顔を切り刻んでしまった女性からの赦しです。

 

外形、つまり見目やプロポーションから運命を導き出すクレイは、その外形に手を加えることにより、運命に逆アプローチを掛けようとしたのです。ま、ペンで手相を書き加えたりするのと同じかな。オリラジの中田も韓国で手相を変える手術を受けたそうです。

 

で、その結果、彼女の顔は「怪光線」(ではないけれど)を発するようになってしまうというものすごい展開。

 

最後の一冊、『緑のヴェール』とは彼女の顔を覆っていたヴェールのことなのですが、ここから先はじっさいに読んでいただきたいところです。

 

一冊目の『白い果実』については山尾悠子さんが担当されており、美しい文章に引き込まれます。

 

ためらいなくおススメできる傑作ファンタジーです。

 

 

 

 

 

王陽明は、中国明代の儒学者で、陽明学の開祖として歴史に名を刻んでいます。

 

思想家でもあり、軍事指導者でもありました。

 

一般には朱子学を批判的に継承したうえに知行合一という革新的な思想を起こしました。

 

僕は彼が好きなのです。

 

というわけで、小説 王陽明 です。

 

小説というからには、王陽明の伝記にかなり脚色を加えたものかと思いましたが、ほとんどそのままって感じでした。

 

では読み物として面白くないかというとさにあらず。元の人生が面白い人は味付けなしでも面白いのです。

 

中村天風の人生なんて味が濃すぎるくらいですもんね。

 

王陽明の人生も静と動の振幅が激しい類まれなものです。病気や投獄や辺境への左遷などその人生は苦難に彩られています。

 

他人ごとながら、げんなりするなぁ。

 

運命を呪ってもおかしくない境遇ですが、王陽明はそのすべてを自己の認識を飛躍させるための好機に変えました。

 

有名な「龍場の大悟」はその最たるものでしょう。

 

まさに人生に無駄なことはない。そう思わせてくれる美しい人生。

 

彼が「五溺」と呼んでのちに棄却した任侠、騎射、文学、道教、仏教という五つでさえ、大局的に見れば彼の生のそこかしこで過不足ない役割を果たしています。

 

彼は多彩で多くのことに熱中し、やがてそのすべてをひとつの悟りに収斂させたと言えます。

 

What a beutiful life !!

 

と言ってみたくなります。

 

↓こんな曲な気分かな↓

 

 

 

 

 

 

 

僕の持病である潰瘍性大腸炎に効くという治療法がテレビでやっていたそうです。

 

その方法とは「豚べんちゅう」という寄生虫の卵を摂取することだそうです。

 

想像するだにおぞましいというか抵抗がありますね。画像で見ると成虫になった姿はけっこう大きくてグロテスク。

 

ただ、豚べんちゅうは人間の腸内では成長できないそうです。

 

僕の病気は自己免疫系が自分そのものを攻撃してしまうものなのですが、

 

寄生虫に身代わりになってもらうことで症状を抑える、そんな仕組みなのです。

 

社会の寄生虫(笑)である僕ですが、そんな僕に寄生してくれる生き物がいるのはありがたいことかもしれません。

 

潰瘍性大腸炎は先進国特有の病気として知られています。

 

清潔になりすぎた世界というのも考えものですね。

 

 

 

明治を舞台にしたお芝居を書いてます。

 

それでいろいろ調べるわけですが、なかなか大変です。

 

維新という言葉が当時は使われていなかったとか。

 

御一新と呼ばれていたんですね。

 

鳥羽伏見の戦いがどれだけひどい戦いだったか。それこそ関ケ原、島原の乱以来の暴力が吹き荒れたわけです。

 

文明開化という明るいイメージの裏側に別の真実がありますね。

 

他には和暦がグレゴリオ暦に変わったりとか、火消しが消防団になったりとか。

 

近代日本の根っこになった変節が多くあります。

 

かなり面白いです。

 

近辺に「明治村」というテーマパークがあります。 ボクらはあれをレトロだと感じるのですが、あれを新しい文化として受け止めていた時代があったんですね。

 

ガス灯や鉄道が日本の風景を一変させてしまった。失われたものもあったはず。

 

懐古できるものは、実はまだ完全には消えていないのです。本当に消えてしまったものは懐古の対象にすらならない。

 

そこには未来よりも深い未知が潜んでいるような気がします。