数年前、 当時まだ奥さんをしていたわたしは

夫と小学校低学年の子供を置いて

海外に放浪にでました。

それは無期限で行き先を決めずに出る、

という取り決めだけをして出たのだけれど、 

結局2ヶ月で戻ったのです。

だけど、その2ヶ月の間に学んだことは

果てしなく大きなことでした。





10代後半から 心の中で「自由になりたい」という声がこだましていました。

何から自由になりたかったのか、 何にも縛られることもなかったはずだけど

それでもずっと自由になりたかったのです。





会社員はダメ。

自営業も時間に追われる。

嫁仕事は向いてない。

親は自分を受け入れてくれない。

義理家族も自分を受け入れてくれない。

夫も自分を受け入れてくれない。

子供に対して親としての責任を果たさねばならない。

お金は自分で稼がねばならない。

誰も私を助けてくれない。

いつも私が助けなればならない。




というような、 不満と義務感がいっぱいだった私です。




そこから抜けたくて、仕事を放棄し

家族を放棄し、

お金も当時は自由になるお金が臨時的に入ったので

思いつくまま動いて。





なんだけど・・・





自由な環境に身を置いて

自分の不自由さを目の当たりにしたんですよね。

自由なのに、 自由じゃなかった。

物質的には自由だったけど、心がちっとも自由じゃなかった。




そうそう。帰国を決めた理由!(笑)

 
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この2ヶ月間の間に、 PranadaとKamala夫妻の家に

2週間ほど滞在してて、 この二人が仲良いわけですよ。

目の前でチューするし、手繋いで歩いてるし(笑)

そんなの当たり前なんだけど、

独りぼっちはもう嫌だな・・・とか思い始めるわけ(笑)

誰かが隣にいたらいいな、って。

日本にいたら夫が隣にいて嫌だったのにですよ?

しかもうち、外出するときは手繋いで歩くのが普通だったのにですよ?

嫌だったくせに、それが恋しくなったりして。

で、またマインドは考え始めるのです(笑)

「 旦那以外だったら!! 」って(笑)





マインドってすごいな、とそのとき、痛感したんです。






場所が変わっても

環境が変わっても

これじゃない、これじゃない、っていつも不満探ししてて

条件変えたって自分が変わってないことを強烈に目の当たりにしました。





ブレない自分って

私の中のイメージにはなりますが

いつでも、どこでも、誰といても

「自分」であり続けることだと思っています。

だけど、それは色んなところで、色んな人と出会って

ブレまくったから気づいたことだと思うのです。






思うに、 接する世界を広げることは

そんな自分に気づかせてくれる大切な一歩なような気がします。







ほんの少しの好奇心さえあれば

人は動き出せるものだから。

一歩、ほんの小さな歩みでいいから 

踏み出してみたらいいと思う。






きっと色んな読者さんがいるんだろうな、って思うんです。





最近の私は、 最近のわたしから見た世界をブログで綴っています。

だから、ある一部の人には受け入れられるだろうし

ある一部の人には心に響くのだろうと思います。





だけど、ある一部の人にはつまらなく思うだろうし

ある一部の人には、 もしかすると劣等感?みたいなものを

刺激してしまっているかもしれません。





人は、 プロセスのどこかにいるものです。

川の流れのどこかにはいて、

そのどこにいるか?で見える世界が変わります。

過去の流れにいたことをわたしは忘れていないし、

今の流れの中にいることに私は意識的であろうとしている。

まだ見ぬ流れに対してはオープンでありたいと思う。





今の私は、不満も義務感もまだまだあるけれど

出てきたとしても、それはプロセスの一部だとどこかでわかるようになっていて

だからこそ、いっその事この濁流に乗ってしまえ!と

身をまかせる事ができるようになった部分も大きいと思います。

さっさと乗ると、 抜けるにも早いんだな、とも体感としてあります。






しんどいなぁ・・って思っている人は

今がその流れの中から世界を見てるだけなんだ、と気づけたらいいなと思います。

抜けたら晴れやかな世界が待ってる。

怖いけど、

怖いこと、やってみる勇気が少しずつでも湧きますように・・・・





なーんてことをなんとなく書いてみた(笑)