トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ 働き中毒のふぬけ野郎モンキーマンにゃ用はない | 偏執狂大衆娯楽趣味控

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もともと「歌は世につれ世は歌につれ」というタイトルで、大衆音楽と世相を絡めながら雑感を書いてました。今後は映画やら文楽やら絵画展やらについても、ここにまとめて記録していくことにしたので、タイトルを変更してます。

もう2週間近く経ちましたが、ダンスホールと化したスペシャルズのライブで、年甲斐もなく軽めの筋肉痛になってしまいました。ただし、ボーカルのテリー・ホールは始まってすぐ「バーイ」と言い出したり、しょっちゅうドラムの横で休憩していたりと、テンションが低いことこの上ありませんでした。服装もラフで、一緒にいった仲間は、「大江慎也か!」(精神病を患い長期リタイヤしたルースターズのボーカル)とツッコミを入れる始末。そんな中で際立っていたのが、ギター片手にMCを一手に引き受けていた、リンバル・ゴールディング(ギター)の孤軍奮闘ぶりです。興奮したお客さんがステージに上がってきたのは、みんな彼の立ち位置からでした。グッドジョブに改めて、惜しみない拍手喝采でございます。

ちなみにスペシャルズで盛り上げ役といえば、ファンは誰もがバックボーカルとパーカッションのネビル・ステープルを思い起こすはず。でも今回の来日メンバーには、クレジットされていませんでした。行く前から残念がる声は一緒に行った仲間内であがっていた上に、テリーのネガティブモードで、その穴は余計に大きく感じられました。唯一、1980年の来日公演を観ていた人も、ネビルがメインのでっかいスピーカーの上によじ登り、観客を煽っていた姿が、一番印象に残っていると言ってました。前回ご紹介した東京のライブ映像から、そのシーンを抜粋したのがこちらの動画。赤いシャツを着た強面の黒人がネビルです。モンキーマンというよりゴリラっぽいかなと。

ちなみにスペシャルズの元ネタは、前にご紹介したプリンスバスターが中心でした。でもモンキーマンは、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズというグループが、1970年にリリースしたのがオリジナルです。プリンスバスターは、ジャマイカ音楽がスカからレゲエに変遷していく流れに、全く乗らならかったのですが、メイタルズはボブ・マーリィやリー・ペリーと一緒に、それを推進する存在でした。Wikipediaにも、「レゲエという音楽ジャンルの名称は、当グループの楽曲DO THE REGGAYのタイトルから引用された」と書いてあるくらいです。

モンキーマンという唄は、こずるく金を稼いで羽振りがいいヤツに対するやっかみという、まあ古今東西を問わず、庶民にありがちな気分を訴えています。これがレゲエになると、悪徳で栄えて退廃していく都市を意味する、「バビロン」なんていう御大層な表現を使うようになりました。そんなパッケージの妙もあって世界的なブームになり、創始者たちは海外ツアーの機会も増えていきました。ところがその反動で、ジャマイカでの活動は減っていき、「おまえらもバビロンじゃないか」とか言い出す過激なファンが現れます。そんな最中に「働き中毒のふぬけ野郎にゃ用はない」と畳みかけるモンキーマンを選んだ、スペシャルズのセンスは抜群だったと、改めて思います。

グッズもロックTシャツにありがちな「普段着れない」感のないシンプルさで、思わず衝動買いしてしまいました。また踊り疲れた後で一杯やって帰ったせいか、電車を乗り過ごし、タクシーで戻る羽目になり、散財続きの一日でした。モンキーマンのように荒稼ぎできていれば気にするまでもないのでしょうが・・・・