ヤネ ヨリタカイ コイノボリ、
オオキイ マゴイ ハ オトウサン、
チイサイ ヒゴイ ハ コドモタチ、
オモシロソウ ニ オヨイデル。
(「コヒノボリ」昭和6年)
お母さんはどこ? 離婚しちゃったの?
という話があるそうです。
いえいえそうではありません。
もともと端午の節句は女の祭りだったそうです。
田の神の降臨に臨むために男・子を断って、つまり神の妻として・処女として饗応する日だった。
物忌みのために男たちは座を外したのです。
《この夜、家々の男はことごとく外に出て、処女あるいは巫女の資格ある女が、協同作業(ゆい)の斎屋(いみや)――あるいは個々の家――に待ち申して、この客人(まれひと)をもてなす》
《これが陰陽道の五月の端午の節供に習合せられた》
《五月幟(のぼり)は田植に来訪する神を迎える招ぎ代(おぎしろ)なる青山(標の山の類)の変化でもあり、つまりは斎居(いもい)の宿のしるし》
(折口信夫「古代民謡の研究」 角川文庫『古代研究Ⅵ』)
女は精霊・聖霊の子を身ごもる性だったんですねえ。
神を迎える性、ありがたいものです。
それに比べてお前様はどれほどの聖だ?
などと野暮なことは申しません。
写真はご近所。鯉はいなかった。
高知でいうフラフだけでした。
子供はもう成人したのかもしれません。