『日本の山の精神 開山伝承と縁起の世界』(鈴木正崇 青土社)なる本を娘ほか家族から頂戴した。450頁もあり、なんと4000円だと。こんなのおれが買うわけない!
なんでも、明治初年からの乱暴極まる廃仏毀釈・神仏分離令によって、それまでの神仏習合の民俗がずたずたになってじまったことに怒りまくっている本(らしい)。

それならおれもやってやろうじゃないか。
そういえば、南方熊楠も明治の終わりごろ神社合祀令によって廃社になってしまう各地の神社がなくなってしまうことに強力に反対していたな。
わしも山登りはまんざら無縁ではない。
若いころはだな、人の道・仏の道を訪(と)うために山岳を歩いたものであった。

おれも修験の道を行くんじゃ。
(タバコで)精進潔斎して山に向かう。
杉の葉、小枝が道を覆っている山道を登攀する。
昼なお暗い。
心細くはあるが神仏は邪険にすまい。
スイッチに触れないのに前照灯が点いた。
これも修験者に対するお山の霊験であらう。


↑は途中の廃屋。
一服していたら上から8トンほどの巨大なトラックが材木を満載して下りてきた。この細道をよくぞ来れたな。すれ違うのに苦労したがそこは道士、なんとかした。

五穀豊穣厄病退散商売繁盛天下息災諸願成就。
祈願のすじは多々ある。
百日の荒行も苦であろうはずがない。

はて、炊飯器のタイマーをセットするのを忘れていたわい。
後ろ髪を引かれながら山を下りた。 
そーゆーわけで百日の荒行はまたの日にしました。