
シン日本浪漫派として、ここは保田與重十郎の「日本の橋」に再登場を願いましょう。
「日本の橋は概して名もなく、その上悲しく哀つぽい」
「日本の橋は哀れに脆く加へて果敢ないものだった。」
「日本の橋は材料を以て築かれたものでなく、組み立てられたものであった。」
日本は、地震、津波、台風に抗し得るほどの強固な建物を構築する材と、付随する技術に乏しかった。
せっかくの建築物に申し訳がないほどであった。
ローマ時代の石造の橋に比べると見すぼらしくある。
堅固な物への望心は、鉄と混凝土(コンクリート)を待つほかなかった。それさえも、もろい。
儚いものに対する哀惜が美意識となる。
バブル崩壊後の90年代、仕事がなくなった隈さんに高知から、「土佐のチベット」と言われる梼原町にある木造の芝居小屋梼原座が壊されようとしているとの報が入った。
「空港から4時間かかって辿り着いたその芝居小屋は想像以上にすばらしい建築であった。」
それが上の写真。
「まず木の柱の細さに驚いた。」
日本の家屋の柱は、だいたい華奢である。
大構造物でないかぎり。
次はブルーノ・タウトの『日本美の再発見』(岩波新書)だな。
それから石元康弘の写真集『桂離宮』と。
石元はアメリカ生まれだが、両親は高知県生まれ。
死後作品集が高知県立美術館に寄贈されている。
数年前展示会があったが、見損なってしまった。
美をどこに求めるのかは各自の勝手だが、課題でもある。
他人の美を侵略することもあるからね。
というより侵略したいんだ。お前は「イモだ」とね。
まあ人殺しするわけではないので大目にみましょう。
どっからでもかかって来いと言いましょう。
下はゆすはら座の内部。
