
「日本の昔話」「日本の伝説」、これはよかろう。
この本に「俳諧評釈」というのが入っていた。
一冊650ページの大冊なんだが、その半分を占めている。
俳諧なんぞに縁なき衆生なんですが、
袖触れ合うも他生の縁という。
なにごとも修行である。
関心はあまりないけど読んでしまった。
連句というのを初めて読んだ。
複数人があい寄り、五七五、七七、五七五、七七と、30句とか100句とか延々と連ねるもの。
連衆の皆さん、けっこう楽しんで繋いでらっしゃる。
俳句の神さまである芭蕉や蕪村も達者に遊んでらっしゃる。
明治になっても、子規や虚子、碧梧桐もやっておる。
なにが面白いのかちっともわからない。
300年前の俗語がすでにわからない。
ひとが楽しんでいるのを指をくわえて見ているのは、
あんまり愉快ではない。
なんだか損をしている気分になる。
それとなく分かるといった素養がない。
恥ずかしいと言ってもいいんじゃなかろうか。
柳田は、「連句は中世の連歌と同じように、睡い退屈な、外から見た者にはいっこうにつまらないものになって来ました」と言っております。
言っておりますが、素養が違います。
しっかり俳諧の愉快を存じておりました。
劣等意識がまたもやむくむくと。
短歌や俳句ごときに、「ほいきた」と興じられないのは、
なんだかなー。
挽回は?
無理でしょう。