宇佐―須崎の浦の内経由の県道から、久通へ向かう。
入り口を間違えて、ひと月ほど誰も通らなかったような山道へ。谷底に落ちそうな細道を心細く進む。住民の通る道にやっと出た。崖路をくねくね走る。
崖にへばりついた40戸足らずの集落に出た。
小学校、分教場らしき跡もない。
むかし、須崎か宇佐の漁民が部落を作れそうなちっぽけな土地を見つけ移り住んだんだろう。
そのようにして南方から黒潮に乗って点々と植民し住処(すみか)を作ってきた先祖がしのばれます。
写真は天満宮神社前の地蔵群。
海で死んだ者や医者にもかかれず死んだ子どもらの霊を祭ったものでしょう。
心なき身にもあはれは、なにやら厳粛な気分になります。
日本人はあちこちに僻地をこさえてきたものです。

そんな零細民になんとか価値を見いだせないものでしょうか。

 

【後註】須崎市久通(くつう)は、人口46人、27世帯とのこと。

あぶれた人口の処置に困って、人間はずっと漂流したんだ、と言えなくもない。オセアニア、メラネシア、南アメリカの最南端まで流浪のホモ・モビリタスであった。