アダムとイブは「知恵の実」かじってエデンの園から追放された。
知恵の実、甘いかしょっぱいか。
『創世記』は永遠の名作でございます。
類人猿から分かれた時代以来の記憶をしょっています。
ホモサピエンスと呼ばれるもっと昔の、一千万年前から、
「自然」との違和をかこっていたはずです。
「なんか知らんが、わしらは自然の懐(ふところ)にうまく抱かれていないなー」
「なんか、継子(ままこ)みたいだなー」と。
知恵は、ままこ、から始まった。
「自然」という親は、
「こんな気持ちの悪い子は鬼の子に違いない」と追放してしまった。
その子はどうやって生きてきたのか?
生きてて悪いか?
いきなり<はだかの猿>であった。
体温を保持すべき体毛を剥奪されたから「衣」を作った。
生命の楽園である森林から追放され、
危険極まる草原で生きるため、
直立した。危なっかしくも、直立した。
地を駆ける前肢は、大地を失い手持ちぶさた。
地の代わりに何を掴めばいいのか、と前足は考える。
足だって考えるさ。
人間は考える足である、とパスカルは言ったべさ。
泥んこ地べたから追放=解放されたのだ。
ま、なにかをつかんだ、のだろうな。
リンゴの実でも何でもね。
「追放=解放」という式は、以来人間の公理となった。
なぜ追放の罰を受けたのか、ご先祖様、知る由もない。
結局、後世、「進化論」あたりでうやむやにされてしまった。
「楽園追放」=失楽園幻想を「自然」からの失墜として、
「原罪」のように記憶され続けているこの<記憶>を
進化論は説明しきれないのである。
人類は成人式等のイニシエーション儀礼で、
繰り返し巻き返し、<記憶>を更新=書き換えねばならなくなった。
以下、後日(書くかどうか分からんが面白そう)。
体肢が垂直になったので、首はより重い自重を保持しえるようになった。
嗅覚の減衰を補填するのに充分な視覚を得た、とも言えます。
増大する情報量の負荷をこなしていける脳髄も可能になった。
首の自由度が増すとともに、声帯にも「緩み」(キャパシティー)が生まれる。
「Auuuu!」が、「痛い」「美味い」「獲物だ」「Hしよう」など、
多岐に渡る意味をしょい込み、ブリリアントな「Auuuu!」となった。
続く。
人類史を、たった40行で概観してしまった。
とりわけ、一段下ゲの部分は今後の展開が待たれる。
ユングは絶対書くべきだったと思います。
錬金術あたりで捕虜(とりこ)になっていてはだめだったんだよ。
「意識」にはもっと遠い過去(の原質)があるではないか。
お気楽亭はまことにタメになるブログである。
「科学的におかしい!」と言う奴は、どこからでもかかって来なさい。
オラは裏から逃げるから。
Led ZeppelinのStairway to Heavenを聞きながら書いてたら、
途中から文体が微妙に変わった。どーでもいいけど。
http://www.youtube.com/watch?v=yaQCirSxnvg
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絵は無茶苦茶な編集ですが、
それなりに懐かしがる人には、懐かしかろうて。
http://www2.diary.ne.jp/user/105088/ 氏が
見事な和訳をしてくれるでありましょう。
氏の忠告どおり「インターネット一時ファイル」を消去しました。
ありがとさん。