先日、『ASAhIパソコン』という雑誌に
ソニー「バイオ」、日本IBM「ThinkPad」
 究極のノートパソコンはどっちだ?
という記事があり、立ち読みしてきました。



後発のバイオはエンターテイメント、
ThinkPadは正統派ビジネスマシン、
皆さま周知の基本戦略が記されておりました。
で、この辺やっぱり、ソニーの勝ち、でしょう。



弾道計算から始まった電子計算機の夢と、
アラン・ケイやステイープ・ジョブズ、[初期?]ビル・ゲイツらの
「パーソナル・コンピュータ」の野望を、IBMは読み違えています。



PC(パ-ソナル・コンピュータ)は、
コンパクトになった巨大コンピュータではないのです。
オフィス、ではなく、家庭に侵攻したPCは、
いわば、フラワー・チルドレン(古いね、どうも)の嫡子です。
解放と連帯の遺伝子を持っています。



国家とか軍事や「ビジネスマシン」に吸い上げられた(知的な)富
を市民の手に取り戻そうという思想的な流れを
彼らは作りました。
ユートピア思想の残照だとも言えるでしょう。



昨今、ユピキタス(・コンピューティング)とかいう
妖怪みたいな言葉を聞くようになりました。
至る所にある、という意味らしい。



至る所?
そ-です。
携帯電話、はコンピュータそのものですし、
腕時計にも、ひよっとしたら爪に貼り付けたり、
場合によったら体内に埋め込んだり、
『矢切りの渡し』の歌詞を忘れちゃったよ、とか、
高知-大阪バスの8時台の便は何分?予約OK? とか、
メガネに仕込んだプロジェクターで源氏物語読んだり、とか、
体の熱を感知したセンサーが家のロボットに卵酒を用意させるとか、
そんなことも出来るようになるらしい。
つまり、どこにいても、ネットワークの端末がある、
ってことか、な。



かような浸透圧にさらされている中で、
IBMさん、ビジネスマシンもクソもあるかい?



一昔前、ソニーがパソコンに参入する際に、NECさんらは、
「パソコンは蓄積されたノウハウが無ければ、無理むり」と
冷笑していた。
実際は、その時既に日本のパソコンメーカーは部品調達業になって
いたのです。
アメリカのCPU以外のほとんどの部品を台湾や韓国から
調達していました。



日本のメーカーのするべき仕事は編集業だと観念すべきでした。
安い部品を諷達する事に心血をそそぐより、
ディレクターとしての編集能力の技量を磨く事が大事だった
はずです。



ソニーは、ビジネスマシンをまずメインにおいたNECや富士通・
東芝などとの正面対決を避け、隙間、勃興しつつあるパソコン私的
所有者階級をターゲットとしました。
つまり、市民に解放されていくコンピュータを。
「私的」に分散しながら、
必要ならば直ちにネットワークに接続しうる。
こういうのが彼らの夢です。
ワープロと表計算が使えるからPCを買うのではありません。



ところで、あたしのノートPCは、
バイオでなく、ThinkPadBのi1800ってやつです。
メーカーの基本戦略や中身はどうでも、
デザインはNo.1なのでございます。
そーなんだって!
あたしやーね、スペックなんか三の次、四の次ざんす。
デザインっす。



はい、それじやまた。                           2002.5.22