797 いじめによる自殺者の無念を晴らす方法は
ないものか?



あります。
誰某(実名で)のかくかくしかじかのいじめによって、
(私は)自殺に追い詰められたということを天下に
公開することです。



たんなる「からかい」によっても人は死ぬ。
そのことを知っただけでも、大人になれるよ。
人の命って、こんなにももろいものだったのだ、ってね。



 そんなに脆いものが、
 なんで「万物の霊長」なんだ?
 強靭だから「万物の霊長」なんじゃないのか。
  う~ん、・・・出直します。



ま、とにかく、なぶり殺しにした張本人の罪を問われないのなら、
<法社会>の意味はなくなる。
頑是無き未成年にまで、その<法>を適用するべきでしょうか?
そうではなく、<常識>を育成するべきでしょうか?



言うまでもなく、後者です。



いじめ行動のエネルギーは、あろうことか、道徳律、です。
対象者を囲んで「そんなのはダメだよ」と、
みんなして教育者になってしまうのです。
「正しい道に矯正してあげましょう」という善意です。



善意はこわい?
ルソーは熱烈な死刑支持者でした。彼は道徳家でもありました。
悪いヤツは、四の五の言わずさっさと抹消、というすっきりした
道徳的世界。これが明るい未来を作る、のだそうだ。



弱者は早いとこ潰しといた方が<種>の保存のためになる、
というすぐれて<人間的>なやり方ですな。



ぼくは、新しい「倫理・道徳」教育が必要だと考えています。
唐突ですが、仏教者がその先頭に立ってほしいものだ、とも。



いつか、しらふ、の時に、再論。
(そんな日は、ないだろーが!)



上の写真は1979年7月に撮影したものです。
わたしの母校大篠小学校です。
フジヤス、コグレ両氏は記憶にあるかもしれません。
あの後すぐに解体され、右手の方に新校舎が作られました。