あります。
誰某(実名で)のかくかくしかじかのいじめによって、
(私は)自殺に追い詰められたということを天下に
公開することです。
たんなる「からかい」によっても人は死ぬ。
そのことを知っただけでも、大人になれるよ。
人の命って、こんなにももろいものだったのだ、ってね。
そんなに脆いものが、
なんで「万物の霊長」なんだ?
強靭だから「万物の霊長」なんじゃないのか。
う~ん、・・・出直します。
ま、とにかく、なぶり殺しにした張本人の罪を問われないのなら、
<法社会>の意味はなくなる。
頑是無き未成年にまで、その<法>を適用するべきでしょうか?
そうではなく、<常識>を育成するべきでしょうか?
言うまでもなく、後者です。
いじめ行動のエネルギーは、あろうことか、道徳律、です。
対象者を囲んで「そんなのはダメだよ」と、
みんなして教育者になってしまうのです。
「正しい道に矯正してあげましょう」という善意です。
善意はこわい?
ルソーは熱烈な死刑支持者でした。彼は道徳家でもありました。
悪いヤツは、四の五の言わずさっさと抹消、というすっきりした
道徳的世界。これが明るい未来を作る、のだそうだ。
弱者は早いとこ潰しといた方が<種>の保存のためになる、
というすぐれて<人間的>なやり方ですな。
ぼくは、新しい「倫理・道徳」教育が必要だと考えています。
唐突ですが、仏教者がその先頭に立ってほしいものだ、とも。
いつか、しらふ、の時に、再論。
(そんな日は、ないだろーが!)
上の写真は1979年7月に撮影したものです。
わたしの母校大篠小学校です。
フジヤス、コグレ両氏は記憶にあるかもしれません。
あの後すぐに解体され、右手の方に新校舎が作られました。
