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えー、よくあることで、てへへ、
何を書いていたのか、分からなくなりました。
確か、<知>が非業である、てなことでした。
知はカルマ(因縁・業)でもあるし、非業でもある。
永山則夫は自分が「無知」であったことを死ぬほど悔しがった。
レーニンは大衆が未だ啓(ひら)かれざる前段階にある
の姿勢を崩さなかった。
たいていのインテリゲンチャがそうだった。
非・知は啓かれるべきであり、知識人たる者、知を施すべきだ、と。
識字教育をし、学校を作り、本を出版し、新聞をばら撒き、
「無知は罪」とアジり倒した。
大衆社会が成熟するに従って、
熱病のごとき知への上昇意識はやっと薄れてきた。
曰く「要するに嗜好の問題だ!」
だったら、万人が主権を持つ主人公だ、ということになる。
知の専従指導者は失業してしまった。
「知識はわれわれを豊かにはしない。知識は、かつてわれわれが故郷としていた神秘の世界から、われわれをますます遠ざけてゆく。」
「『昔は、老医術師たちは夢をみた。そして戦いが起こるか、病気がはやるかどうか、雨が降るかどうか、何処へ獣の群を連れて行くべきかといったことを知っていた』という。彼の祖父もまだ夢をみていた。しかし白人がアフリカに来て以来、もう誰も夢をみなくなった、と彼はいう。夢はもはや必要とされなくなった。今では、イギリス人があらゆることを知っているからだと。」
上記は『ユング自伝』(みすず書房)から。
前者は、プエブロ・インディアン、
後者はアフリカの若き医術師の嘆きです。
デルフォイの神殿で神託を承った神女や、
どこの村や国でもいた巫女(みこ)が神のことばを俗人に告げ知らせた。
彼(女)らが知識の専従者であったが、啓蒙家の活動のおかげで、
「神秘」は目出度くも白日の下に解放されたのだった。
「知識はわれわれを豊かにはしない」と言われる筋合いはない。
と、そういうことになった。
一方、「神秘」の方は小賢しい知識から逃げ延びる手立てをとった。
ユングはそれを「集合的無意識」とよんだ。
いわば、知識の水鉛が到達せざる暗黒領域が厳然と存在していると。
集合的無意識は、浅はかでやくざな(近代的)知を
せせら笑っている、のかもしれないではないか。
落ち着き場所を喪失した近代の知が、精神病理として現象している。
とも、言えるかもしれないではないか。
(ユングはUFOにそれを見出した。)
さあ、予測していない展開となったぞ。
次回は大団円だ。
・・・どーなるんだろ? 俺にも分からん。
展望とかいう高尚なものは持っておらんのであります。