というのは、つまり、発言権がない民、です。
社会的には、NO-VOICEと見做されております。
朝夕の挨拶がちゃんと出来たって、ブログで何をほざいていたって、ダメです。<権力>には、なりっこない。
昔はね、いたんですよ。
彼らの声を代弁する、講談師とか弁士とか政治家とか小説家とかインテリゲンチャーとかが。
代弁はしたけれど、所詮が代返。
「組織論」なき三百代言。でした。
崩壊する大衆社会、と僕は言うのですけれど、諸兄にはあまりリアリティはないのかもしれません。なにせ、no voiceなんですからね。
グーの音も出ない、ってやつです。
テレビに出てくる有識者やコメンテーターや(口下手な)ゲストも同様です。「無告の民」は、やっぱり(マスコミにも乗ることなく)置いてきぼり、なんです。
no voiceは、no voice。
声の無いものは、社会的には「無」と同じ。
3万人の自殺者も、「無」と同じ。
無視したって痛痒もなし。
「民主主義」も底が浅い、のが分かります。