やっと冬か?
小林秀雄の『実朝』なんか読む休日。
大海の磯もとゞろによする波
われてくだけてさけて散るかも
「かういう分析的な表現が、何が壮快な歌であらうか。大海に向つて心開けた人に、この様な発想の到底不可能な事を思ふなら、青年の殆ど生理的とも言ひたい様な憂悶を感じないであらうか。」
憂悶だらけの青年=ナカムラ、目からウロコ、でした。
続いて太宰治の『右大臣実朝』も読んでしまう。
同じ歌に「一言の説明も不要かと存じます」と付けていた。
二人とも「純真さ」や「天真爛漫さ」を実朝に見届けたがっている。
戦時体制の「ススメ、ススメ」の号令には嫌味なような文章だ。
小林の発表は1943年5月、太宰は同年9月。
太宰はずっと以前から実朝を書きたかったのだから、後先は関係ない。
この二人の優れた文学者の作品に、「一億火の玉」が鼻についていた人たちがオアシスのように触れたのでしょう。戦時下だからこそ書かれるべきだったのです。
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
は、太宰の(平家に関する)実朝のせりふです。
勇壮活発なススメ、ススメが、いずれ「死の行軍」になるだろうことを、
小林も太宰も感づいていたのでしょう。
ランボーは、パリ・コンミューンの熱狂や「科学だ!進歩だ!」の近代から遁走し、砂漠のアデンに入り「大地の商人」となった。
コーランなんか説法したりして。
ポール・ニザンの『アデン・アラビア』が手元にあれば
余興に呈するのだが。
たしか、こうだ。
「もはや憎むことを恐れてはならない。狂信的であることを恥じてはならない。僕らは彼らに不幸の借りがある。彼らはあやうく僕らを駄目にしてしまうところだったではないか。云々」
大島渚の『日本春歌考』で伊丹十三が荒木一郎らに読み聞かせていた。
大島のアジテーションだった。
☆彡ThinkPadがまたアカンなった!
電源が入らん! 画像を何10枚も入れる重労働をさせたせいか?
数年前、5万もだしてHDを交換させられたが、
実は、おかしいのは電源まわりでなかったか、と思われる。
このクソッタレー!!!!!