インターネットの某掲示板に、次のような書き込みがありました。
私の家は長年隣家に盗聴されて、盗聴調査をしても見つからりま
せんでした。警察に相談しても、調査結果をたてに、調査してく
れないのです。
最近は私の家の中の盗聴、盗撮から得られる私の動作、言動に対
して盗聴盗撮していることを隠さずに堂々と私だけに聞こえる音
(超音波共振技術)を発信してくるようなのです。
妻には聞こえない音のようです。
音と言うよりも私の耳の近くの筋肉が共振振動する超音波を発信
するので私だけが聞こえるようなのです。
24時間体制で、真っ暗なベッドで寝ているときにも手、足を動か
したり、目を開けた瞬間に音が聞こえるのです。
それは風呂、トイレ、どこに居ようとも同じであります。
どう考えても私の家の中を超音波盗聴、盗撮をした上に、
超音波の共振秘術により私の耳の筋肉を振動させて、
盗聴盗撮していることを私に知らせているようなののです。
精神的にも肉体的にも疲れております。
この超音波盗聴、盗撮、共振技術に対する対策はないのでしょう
か。
超音波技術に詳しい方のレスをお待ちしております。
隣家に盗聴されているのが分かっていながら、
警察も相手をしてくれない。
相当なストレスになっているのが見てとれ、同情を禁じ得ない。
ぷっ。
ってねー、あなた、笑い事じゃないんですよ、ジッサイのはなし。
おいたわしいことです。
「たんなるノイローゼじゃ。
正露丸でも飲んで、乾布摩擦しておれば治るじゃろ。」
だいいち、盗聴している奴が、
盗聴していることをわざわざ教えにまかりこすのも変じゃないか!
などとは、とても言えないほど切実で痛々しい。
どんなレスがあったのか、気になりますが追跡していません。
「みんなが私の悪口を言っている。」
「あなたの小説のモデルは私である。」
「わたしは○○の生まれ変わりである。」
「私は宇宙人と交信している。」
「嫁がワシの財産をねらっている。」
「○○が私の脳を監視し、盗聴している。」
「彼(彼女)は私に惚れている」
と勘違いしている奴も、かなりいる。
「悪魔が私の頭に入ってきた」と言った奴も近頃いたな。
ハイパーな<関係>を所持している方々は、ゴマンといる。
本当に宇宙人と交信している人がいたら、ゴメンである。
(友好的である場合もあろうが、過半数が)敵対的な幻想の隣人を
呼び寄せる精神の機微を人間は持っているものなのかもしれない。
個人でも、民族・国家でも、宗教間でも。
それはあるんじゃないでしょうか。
書き込みの作者が、被・察知の異能力者だとしますと、
その対面(といめん)にアクティブな[遠隔]察知者もいます。
ここにいる筈のない近親者が突然現れて、変だなと思ったが、
その時分に彼が死んだことを後で知った、などの話は多々あります。
故宣保愛子さんは、
近くの炭屋が燃えた白日夢を見た数日後、実際にその家が燃えた、
火事の原因(タバコの火が布団に)もはっきり見えた、
と、幼少のときの話をしていました。
未来や過去や遠隔を察知する能力を持つ人は、いるのです。
当たる・当たらないは、問題ではありません。
え?
当たらなければ意味がない?
そうでしょうか。
いや、未来・過去や遠隔地に行って帰ってきた、
もしくは、その情報を感知した、という精神現象が、
人間の(精神)能力として問題(疑問)になるんじゃないですか。
夢や妄想がたまに当たって、それが針小棒大に喧伝されている、
日頃気に掛かっていた(病気や戦地の)人が夢に現れた、
というのが実のところなのかも知れません。
ぼくも、そう考えたい。
アトムとともに育った「科学の子」、なんだから。
でもね、
あまたあるキリストや弘法大師や民間説話の秘蹟の全てを
説明できうるとは、とても思えないのです。
因果(律)が結べないのは、ぼくらの科学力の埒外です。
火星に行ってきたアダムスキーや、(頭に悪魔が入ってきて)
「殺せ」と言う声が聞こえた(11.22広島事件)とかいうタワゴト
まで、心理の理路をちゃんと解明したいものです。
精神が体験を超えてワープする現象は、確かにあるのです。
「夢か、現(うつつ)か、まぼろしか」の領域で、それは現象しや
すい。としか今は言えそうにない、のですけれど。
柳田国男の『遠野物語』には、
その種の怪異なエピソードが多数記録されております。
未読の方は一読をお薦めします。
異界との交信・交流が、どんな説話・神話を産み出したのか、
『古事記』の時代にも直結できるほどの豊富なエピソード群です。
座敷わらし、河童・狐、天狗・山男(93話)・山姥、異類婚、神隠し、
臨死体験(ニアデス)、予兆、占い、なんでもあります。
科学万能の現代、「異界」などない、
あるとしたら、それは「迷信」の中にしかない、
とお思いでしたら、大間違いですよ。
心的な世界は、宇宙と同程度の深さと広がりを持っています。
心的な重心(重力点)や「傾き」は、
おのおの固有に振り分けられている。
現代の常識人がそれを「妄想と病的」の屑籠に放り込もうと、
その個人には、抗えない重力点なのです。
「異界」と繋ぐ橋あるいは渡し舟が、さしあたり「入眠幻覚」であ
ると『遠野物語』は示唆しています。
なーんだ、やっぱり夢なんだ、と早とちりしてはいけません。
菊池菊蔵という者、子供が病気になり、妻を連れ帰るために
日が暮れて薄暗くなった山道を、妻がいる親里へと歩いていた。
後ろの方より菊蔵と呼ぶ者がある。振り返れば崖の上に下を覗く
ものあり。顔は赤く眼は光りかがやいている。
お前の子はもう死んでいるぞと言う。この言葉を聞き、恐ろしさ
よりも先にはっと思ったが、はやその姿は見えず。急ぎ妻を連れ
て帰ったが、はたして子は死んでいた。(93)
遠野の町の芳公馬鹿という男、木の切れ端などを拾って匂いを嗅
ぐ癖あり。この男、往来を歩きながら急に立ち止まり、石などを
拾い上げてこれをあたりの人家に打ち付け、けたたましく火事だ
火事だと叫ぶことあり。かくすればその晩か次の日か物を投げつ
けられたる家、火を発せざることなし。同じことは幾度となく
あったが、注意して予防をしても、火事を免れた家は一軒もない
という。(96)
たった100年前の話なのに、遠い時代の説話か神話のように聞こえ
ます。科学によって駆逐された幻想の過去、の遺跡としての心霊世
界、だからねえ。
第六感という言葉があります。
『広辞苑』によれば、五感のほかにあるとされる感覚で、鋭く物事
の本質をつかむ心のはたらき、です。
「物事の本質」かどうかは置いといても、そのような感覚の入れ物
は一応用意していたのでしょう。
「心霊現象」と言って放り込むのに格好の屑籠になっちゃったけど
ね。
宣保愛子や先の書き込み氏が感受した<事実>を、
妄想と思い込みのごみ箱に投げ入れるのはたやすい。
そういったたやすさは、たいてい虚偽でくるまれている。
芥川龍之介の『藪の中』を持ち出すまでもなく、
事実だって、ブリリアントなのです。
フロイトやユングに『遠野物語』の感想を聞きたかった。
重箱の隅をほじくるのを稼業にしているような下手な学者に聞い
たって、しょうがないからねえ。
やりたくても、こちとら、そんな時間的余裕はないだけだけど。
遺伝情報でも何でも、情報を媒介する<メディア>はあるはずです。
ある物理学者は、「幽子情報系」と名付けておりました。
探索のエクスプローラ号(「しんかい」でもいい)を打ち上げるべ
きです。たとえ夢の中、妄想の中へでもね。
出してくれよ、その船を。
探索してみたら絶対面白いって。保障します。
人間は謎だらけです。
舐めとったら、あかん、です。
よろしくね、あとは。
また、お会いしましょう。 2006.1.15