左は畏友O氏。
アルカイダではありません。
しっかりこっちを向いてくれています。
他人の写真を勝手に使うのはナンだから、
ひと月経ったら消します。憶えてたら。
顔は、いい。
構えてはいないが、どっしりとしている。
カメラに負けていない。
顔を撮りてー。
1000枚ぐらい撮りてー。
人間に顔があるのが不思議なぐらい撮りてー。
死ぬまで顔を持って行かなければならないのは厄介だ。
ぼくは(自分の)顔にいまだに馴染めないでいる。
アイスホッケーのフェイスマスクみたいなのに
「への126番」と記されているのがいい。
どうしてみんな自分の顔に平気なんだろう?
次の写真はモリオ爺さん。
死んでしまってもう30年経ちます。
「おーい、青年!居るか~!」と呼ばわり、
それとなく酒を所望するアル中老人でした。
「顔がなけりゃ、どこから飲んでいいのか分からん」のである。
良かったねー、顔があって。
人間を判断するのには、背格好の次に顔。
顔の多様性を造形したかったんじゃろ、神さまは。
おかげさまで人口は増え続けています。
「への126番」より数等優れた個人識別法でして、
100の100乗倍しても判別可能なんじゃないでしょうか。
「顔の現象学」が必要だと思います。
メルロ・ポンティも死んじゃったから、町の人相見の皆さんが協同で書いてくれたらいいものが出来るんじゃないでしょうか。
編集者になりてー。(←写真じゃなかったんかい!?)