「熊野詣で」に行ったご婦人から聞きました。
途中で「写真は駄目」
「これからは水を飲むこと厳禁」
「帽子も脱いで」などと言われて残念がっておりました。
写真を撮りたくて行ったのです。
参拝客も神罰を畏れたか、みんな指示に従っていたそうです。
俗化は受け付けません!の心意気、
に皆さま心をうたれたのでしょう。
土俵に上がりたい、と言った女性大臣がいました。
まさか、ふんどし一丁で、ではありません。
女を受け入れないのは女性差別だ、みたいなことです。
相撲協会は丁重にお断りした。
聖域を保存したい(守旧主義がある)のも、
「市民社会論」で侵したい風潮があるのも分かる。
「聖なるもの」?そんなものが文明社会にある訳がない!って。
ない、のか?
なくていいのか?
「聖なるもの」「犯してはならないもの」がこの世になくて、
この世がもつのか?
この世がもつか、新しい時代が来るのか、
んなもの、関係ない。決定するのは時代の趨勢でしかない。
どうして、俺が決定できないのだ?
皆さまの「俺の力」は、左様に微力なのだ、と言っても納得しかねるでしょうが、「歴史」というのはそんなものです。
「歴史」は謎に満ちています。
無権力者の庶民も作ったし、
歴史上の(権力を持った)有名人も作った。
突出した有名人を繋げれば歴史は概観しうるというのも、
やや乱暴にすぎる。
そんなものではない、ような気がします。
続く、ということで、はい、今日はここまで。
誰かが続けてくれるでしょう。