パール・ハーバーと9.11は、「敵対するものには死の報復を」との覚悟を米国人に与えました。
正義と自由は常に脅かされている、という絶対君主制的な「不安」の潜在が、インディアンや黒人や移民族らの存在に対する不安とシンクロしているからです。アメリカが多民族の集積地でその上の民主主義だ、というのは大嘘です。精神の根幹は、イギリスから逃れてきて先住民を追いやり地所を確保してきたピューリタンなのです。「過剰武装」は、その遺制です。常にどこからかが、報復行動に出てくるかもしれない、という不安を彼らは共有しているのでしょう。
銃を手放すことができないことについて、
フロイト的ではない「不安の概念」が書かれるべきです。
「刀狩り」以来、武器を放棄した日本人の方が
異常なのだ、と彼らは言うでしょうが。
♪This land is your land であり my land と彼らは歌いますが、
そのmy landのキャパシティーは、実に、狭いのではないか。
この空間認識については、以前どこかに書いたことがあります。
別の機会に再録します。
正義は狭隘につく、と言えそうです。
現今の(一部)イスラム教や初期キリスト教もそうです。
狭められているという認識が新天地を生むのです。
あらゆる新興宗教も、新左翼も、オウム真理教もそうです。
「正義」は息苦しさの中からやっと生まれる。
大手を振るようになったら、すでに「正義」ではない。
どちら様の「正義」も、そのことをご存知なんだろうか?
太宰治、ぐらいのものか、知っているのは。
9.11についてコメントは下記のURLで。
http://sirent-crash.cocolog-nifty.com/blog/2001/10/index.html
ごめんよ、またしても暑苦しい話題になっちまって。
暑い時には熱いお茶を!