蛇足です。
読まなくてもいいですよ。



指揮権をアメリカが取ろうが、失敗しようが、
「グローバリズム」は、いずれ世界を覆うでしょうね。



ただ、
中世以来の十字軍的グローバリズムは、
ここ近年のアメリカによって終焉した、と言えます。
牽引しながら同時に幕引き、という至芸を見せてくれた。
さすが、である。
民主主義の輸出国、世界の至宝。アメリカ!



みんな、アメリカを見て育った。
ワシは、脱脂粉乳と、
『大草原の小さな家』や『ライフルマン』『ディズニーアワー』
で育った。
上の兄貴は『風とともに去りぬ』を観て、
「アメリカは戦時中にこんなゴーセイな総天然色映画を作っていた
のか!」と驚愕し、以来アメリカに頭が上がらなかった。
下の兄貴は東京に出稼ぎに行って、FENを必死に聞いていた。
 (けれど、英語はまったくモノにならなかった。)



MONOあるいはUNIな、単一な秩序体系ではない、
雑多な「固有性」がそれぞれに輝く時代を、
アメリカは指し示していた。



 右翼の衆は、戦後の「新」憲法を、
 アメリカが強制したと言っていますが、大ウソです。
 幣原喜重郎らが自分の頭で考えたものです。



『大草原の小さな家』が教えていたものは、
インターナショナルは、その元にナショナルなものがひれ伏す、
などといった意味ではなかった。
その意味で、アメリカは大きかったのだ。



人間は、神の衛星ではない。
神の威光を反射して輝いているのではない。
 〈と、ニーチェは言った。たぶん。)
人間は、その固有性によって発光しているのだ。
(と、アメリカの精神は言った。たぶん。)



そもそも、グローバリズムという言葉は、
徹頭徹尾プラスのイメージで語られてきました。
壊夷に与せず、「世界」に開けて行くんだ!って。
その波に乗れない連中は、「反動勢力」
(共産党がよく使っていた言葉)です。



その駆動力は、実は民族や国境を越えて活動する資本の奔流です。
利益を生み出す新天地をいつも探していないと死んじゃうんだよ。
いつも何かを食っていないと死んでしまうモグラみたいにね。
ちょっと抗しがたい自然な趨勢なのだけれど。



アメリカの(我田引水的)一国集中的グローバリズムが終焉した
として、だよ、
ここであなたに課題を一つ提出しておきたい。



各々の個有性を持つ各地域、各民族、各文化圏は、
どのようにグローバリズムに着地するのがベストなのか?



グローバリズムに抵抗し得るとしたら、
じゃ、何をもって、「世界化」に拮抗しうるのか?



「後進国」(今風に言えば発展途上国)は、
やはり、「発展」せんことには、話にならないのか?
パプア・ニューギニアやアフリカ奥地には、
どうしても電線をひかなくてはいけないのか?
ローカルなものは、インターローカルに組み敷かれるものなのか?



壊夷運動をしなくても、
また、「世界に追いつけ」運動をしなくても、
第三の道は、ないものなのか?



「そんなうまい話は、ない!」?



わたしは、あってもいいじやないか、と思っています。



佐世保で小学校6年生が同級生の女の子を殺した事件がありました。
インターネットのチャットで誹誘中傷されたことが動機とされて
います。



ネット上での「会話」は、別の次元の会話だと思ったほうがいい。
日常の全話は、相手の目や顔色を見たりの、
1秒間で1千サイクルほどの
キャッチボールで成り立っているが、ネット上では、
自分の出した波に乗りさえすればいいのです。
簡合いを取る、という、処世術を涵養するものではない。
人形に話しかけているような、一種の幼児退行を容認されています。



おいら?
すみません、同じです、ご覧のとおりの体たらくです。



 オズマ計画とでも言っちくれよ-。
 てへへ。                     2004.5.4