えー、世の中、雑多なメッセージで溢れかえっております。
解読可能なものも、不可能なものもあります。
解読もなにも、ほとんどが馬の耳に念仏状態です。
解読されなかったメッセンジャーは何倍も発信する傾向がある
んでね、有限な回線のキャパシティー、パンク状態になりますわ。
だいたい、発信はするが、他者のメッセージは拒絶する、
というのが世の通例なんだから、困ったものです。
人間の解読能力が少し増えたら、
この乱発信の落ち着き先を提供できるはずなんだけどね。
身すぎ世すぎでその余裕がないか、
サボっているか、どちらかです。
どっちにしろ、人間の知性も大したことはないということでしょう。
育児放棄、家事放棄、家庭崩壊、学級崩壊、
もろもろの犯罪事件、あるいはテロや戦争、
ついでに広げて、大気・海洋・土壌汚染に地球温暖化、と。
これらのメッセージを全て解読しなさい!
ホモ・サピエンスよ、「知恵ある者」らよ。
は~、肩が凝りますなー。
ホモ・サピエンスの皆様には同情しますわ。
わたし?ホモ・サピエンスちゃいますって。
ホモ・ルーデンス言うてください。
メッセージで凝った肩にはマッサージを。
凝った脳髄にもマッサージは要る。
メッセージはもう沢山です。
ま、ここは一つ、音楽でも聴いて、
凝った脳味噌を解きほぐしてもらいたい。
機械的で単調な肩もみ機や脳味噌もみ機(あるんかい?)
はいけません。
1/fのゆらぎを持った律動がよろしいかと存じます。
→1/f? なんのこっちゃ分かりませんがね。
三つばかりお薦めしておきます。
ご存知、ラベルの「ボレロ」。
リヒャルト・シュトラウスの「変容(メタモルフォーゼ)」。
コルトレーンの「オレ」。
同じ旋律が波がうねるように繰り返されます。
単調なようで、実はそんなに単純なものではない。
これがあやしい興奮と同時に「鎮め」を誘ってくれるんです。
この波に身を委ねていると、
カリスマ按摩師かかっているようなものです。
癒されます。
ビートルズの『この世界に愛を』(だったかな?)にも、
ピアノで低音部数小節を繰り返すのもあったように思います。
同じメロディーラインを畳み掛けて行くことで、
渦に飲み込まれて行くような気になります。
不思議なことに、これが決して不快ではないのです。
フーガという技法があるでしょう?
バッハの時代にはよく使われていました。
こういうのを古典派の大作曲家ベートーベンなんかが、
通俗的で一格下のものと見下したんじゃないかと僕は思います。
「音楽にドラマツルギーを!」
これがベートーベン(ら)の革命でした。
「無限旋律など、稿料を稼ぐために同じ文章を繰り返しているのと
おなじ。」(僕の邪推ですけどね。)
高校の山岳部の先輩であったT氏の葬式にはいいものがあった。
親族全員が法華経の読経をするんですが、
オペラじゃないんですから、山も谷もなくただうねうねと唱えます。
若い声もあれば年寄りの声もある。女の声も男の声も。
これがね、実にポリフォニックでね、いいんですわ。
グレゴリオ聖歌よりもぜったいスゴイと思いましたよ、あたしゃ。
仏さんをあの世へ送る歌をみんなで作り上げていたのです。
日蓮宗は、「成仏」を坊さんに委託するというのと
ちょっと違った考え方をしているのかもしれません。
みんなで故人を担いであの世まで届ける、
または、みんなで一時的にあの世に行って呼び寄せる歌を合唱する。
そんな雰囲気のある見事な(スタイルのある)葬式でした。
ドラマと言うほどのものはないけど、語り(物語)はある。
変化の乏しい繰り返す旋律には、
名もない庶民の「語り」が封じ込まれている、そんな気がします。
人々の宗教にはこれが織り込まれているのです。
決して、古い時代の・捨てられるべき遺制ではないのでは?
PS.先ほど午後5時前、台風21号の目が頭上を通り過ぎましたが、
あまり被害がなかったので助かりました。
でも台風多すぎます。